JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

お問い合わせ・お申し込み

Last Journey(73)ローマの休日

 私のファーストジャニーで最悪の出来事は、ローマで起きました。日記によると、それは1974年9月6日、ローマ最終日のこと。長くなるので簡単に言うと──自称ブラジル人に騙され、暴力バーに連れて行かれ、ビール1杯で当時の金で10万円も取られたのです。

 10万円といえば大金。なにせ、3ヶ月の旅のために持参したのは45万円。ローマでの宿泊代は1泊750円、ランチはローマ大学の学食。そんな倹約旅行で10万円のビール代は、まさに「世界一高い苦い一杯」でした。そのせいで私は長い間、ローマ、イタリア、そしてイタリア人にあまりいい印象を持てませんでした。

 今回の旅では、基本的に1ヶ国1都市を選んでいます。イタリアはあえてローマ。あの苦い記憶を甘い思い出に塗り替えたかったからです。

 そして今日、ローマに着くやいなやランチはエビのリゾット。日本を出て27日目にして、初めてのお米。これがまた美味しい! ファーストジャニーでも行ったトレビの泉とスペイン広場にも足を運びました。特にトレビの泉はものすごい人、人、人。まさにオーバーツーリズムの見本市。でも、人が集まる場所は不思議と楽しい。写真を撮る人はみな笑顔。やっぱり観光は人を笑顔にしてこそ、ですね。

 こうしてローマ1日目はしっかり楽しめました。やはりローマは“世界のローマ”。カメラを向けたくなる景色があふれています。明日もこの勢いで、50年前のローマにリベンジです。それにしても──北国育ちの私にはローマは暑すぎ。だからこそ、スペイン階段のそばで食べたアイスは、格別おいしかったです。

 

Last Journey(72)ジェノバの夜

 イタリアのジェノバに来ています。ファーストジャーニー(50年前の旅)では立ち寄らなかった町です。今回、ミラノ〜ローマ間が線路補修工事で通れないため、別ルートを検討していたところ、ふとジェノバが浮上しました。正直、私のジェノバ知識は「イタリアの港町」というくらい。

 それでも、なぜか懐かしい響きのある名前でした。高校生の頃に聴いた、あるグループサウンズのバンドを思い出したのです。1960年代後半、日本は空前のGSブーム。全国で数えきれないほどのバンドが生まれました。その中に異色の存在がありました。名前は「ザ・ジェノバ(The Genova)」。

 イタリアの港町の名を冠しながら、歌の世界はなぜかロシア情緒。代表曲は1968年の『サハリンの灯は消えず』。コーラスを重視したアレンジに、歌謡曲のようなメロディー。歌詞からは北国や異国の香りが漂います。その後も『さよならサハリン』など、寒い海の向こうを感じさせる曲を発表しました。

https://www.youtube.com/watch?v=b7VKvTPNG2Q&list=RDb7VKvTPNG2Q&start_radio=1

 昨日、久しぶりにYouTubeで『サハリンの灯は消えず』を聴きました。懐かしい。あの頃、夢中でGSのレコードを聴きあさっていた自分がよみがえりました。今の若い人が聴いたら、逆に新鮮に感じるかもしれません。

 そして今回のジェノバ滞在、実はとても面白い出来事がありました。それはホテルです。いつものように宿泊サイトで予約したホテルへ行くと、なぜかチェックインにやたら時間がかかります。やっと自分の番になったと思ったら…「同じ条件で部屋をご用意していますので、隣のホテルへどうぞ」とのこと。多分、オーバーブッキングです。

 正直、「この重い荷物をまた転がすの?」と、ついてない気分で指定のホテルへ。ところが外壁は工事中で全貌は不明。中に入ってびっくり——超豪華! 部屋も広く、今回の旅で間違いなくナンバーワンの宿。

 ネットで調べると、創業は1897年。イタリアでも最古級のホテルだとか。しかもジェノバには、ここよりさらに古い5つ星ホテルまであるそうです。駅近、スパや屋上テラス付き、歴史と贅沢のハイブリッド。普通なら手が届かない場所に、まさかのアップグレード。写真はあえて載せませんが、初めての“5つ星体験”でした。

 こうして、思いがけない贅沢と共に、ジェノバの夜は静かに更けていきました。ところで、ジェノバは写真の被写体がいっぱい。いつかゆっくり歩きながら写真を撮ってみたい。でも暑い。来るなら冬がいいなあ。

Last Journey (71)列車での出会い -6-

 

 ミラノからジェノバへの列車は、まるでイワシの缶詰状態。現在、ミラノとローマ間では線路の補修工事が行われている影響もあるのでしょう。そのあおりを受けて、私も予定を変更し、ジェノバ経由でローマ入りすることになりました。

 旅行カバンを置く場所を探して右往左往していると、片言の日本語で「ここに置きなさい」と声をかけてくれた女性が。ミラノ在住の日系ペルー人、Sumikoさんでした。とても明るくて元気いっぱいの方で、一瞬にして車内は「片言の日本語+片言のスペイン語」の国際交流サロンに早変わり。

 実は私、大学時代の第二外国語はスペイン語。さらにファーストジャーニーでは、スペインに1週間半ほど滞在したことがあります。自慢できるほどではありませんが、不思議なもので、会話しているうちにポロポロとスペイン語の単語が口から出てくるのです。ここはイタリアなのに。

 イタリアのあとは、スペインのマラガで2泊予定。この2日間で、私のスペイン語力がどこまで“奇跡の復活”を遂げるのか、ちょっと真剣に挑戦してみようと思っています。50年ぶりのスペイン語との再会…果たしてどうなることやら。

 さて、陽気なSumikoさん一行とはジェノバ駅でお別れ。最後まで笑い声の絶えない人たちでした。ところで——列車の中で彼らと一緒に座っていた若い女性、実は彼らとはまったく無関係でした。なぜか彼女も、しっかり記念写真の中に写っています。旅って、こういうおまけがついてくるから面白いんですよね。

Last Journey(70)ミシュラン星付き朝食

 今回泊まったドモドッソラのホテルには、レストラン併設されていました。しかも、ただのレストランではありません。なんとミシュランの星を獲得している本格イタリアンです。その事実を知ったのは、チェックインの時でした。

 フロントで「それならランチを」と軽い気持ちで聞いてみると、「あいにく本日は予約で満席です」との答え。さらに「夕食は?」と聞くと、「日曜日はお休みでして…」と。あぁ、タイミング悪し。その時、ちょうど中国人の男性客がやってきて、同じ質問をしていました。彼はわざわざこのレストランで食べたくて調べてきたそうですが、「予約のみ」という現実に肩を落としていました。

 こうなったら、残されたチャンスは一つ。――朝食です。翌朝、ミシュラン星付きの朝食をいざ堪能。出てくる品はどれも、卵料理、パン、チーズ、ハムと、どこでも見かけるラインナップ。でも、一口食べてすぐにわかりました。「あ、これ全部レベルが違う…」。きちんと選び抜かれた素材は、ただのスクランブルエッグも、ちょっとした芸術作品のよう。

 中でも心をつかまれたのはサラミ。私は筋金入りのサラミ好きですが、この大きくカットされたサラミは香りも旨みも段違い。思わずおかわりしたくなりました。でも、そこで葛藤。「ここで皿いっぱいサラミを取ったら、“あの日本人、がっついてるな”って思われるかも…」。

 結局、ぐっと我慢しました。だって、日本のバイキングで“カニ山盛り”にしている人を見ると、ちょっと複雑な気持ちになりますよね。サラミは、心の中でだけおかわりしておきました。

Last Journey(69)小さな町はいい!

  スイスのティッシュから、イタリアのドモドッソラにやって来ました。この町の名前、知っている人はどれくらいいるでしょうか? たぶん、ほとんどの人は知らないと思います。もちろん、私も例外ではありません。ここはスイスからイタリアに入って最初の町。今日も駅でパスポートチェックがあり、無事に通過。

 実は今週、ミラノ〜ローマ間の路線が工事で運休中。そのため当初の予定を変更し、ミラノからジェノバ経由でローマへ行くことにしました。そうなると、どうしても旅程を1日削らなければならず、泣く泣くツェルマットを2日から1日に短縮。しかも、その1日でマッターホルンが見えなければ、翌日の午前・午後まで粘る覚悟でした。(ラッキーにも、1日目で晴天のマッターホルンを見ることができました!)そんなことを考えると、ミラノに着くのが夜になってしまう。それを避けるため、途中のドモドッソラで泊まることに。

 スイスでは隅々まで自然がきちんとケアされていましたが、国境を越えてイタリアに入ると…駅のプラットホームに雑草がいっぱい。思わず「これもイタリアの自然美か?」と自分に言い聞かせました。駅から眺めた人口約1万8千人の街の第一印象は「いいなあ」。そして半日過ごしたあとの感想も、「やっぱり、いいなあ」。

 何がいいって、ホテルは駅の目の前。今回の旅では駅チカ重視ですが、ここは徒歩3分。しかも1泊2万5千円と、この旅でほぼ最安クラス。やはり小さな町は物価も控えめです。ランチにはラザニア、夕食にはパスタ。どちらも約2,800円。イタリアはヨーロッパの中でも比較的安い国だとはいえ、小さな町はさらに財布に優しい。

 そして何より、人が親切。日本で座席予約はしていたのですが、車両と座席番号が届いていなかったので、駅のチケット売り場で相談。わずか5分でプリントしてくれました。ちなみにパリで同じことをしたときは…待たされて、終わったのは30分後。うん、小さな町はやっぱりいい。

 今回ドモドッソラを歩いていて思いました。私は、乗り物で回る街よりも、歩きながら写真が撮れる街が好きです。

Last Journey(68)ホテルは高い!

 

 今の日本人にとって、ヨーロッパはとにかく物価が高い。特に宿泊費は泣きたくなるレベルです。私は半年前からホテルを予約していたのですが、それでも高い。もちろん、高いか安いかは、その人の収入や価値観で変わるとは思います。

 今回、スイスだけはホテルではなく、ゲストハウスを選びました。キッチンやバスルームは共用で、寝室は個室というスタイル。ベルンでは、このタイプの部屋で約3万円。メリットは、ほかの旅行客と知り合いになれること。この日出会ったオランダ人の家族はとても感じの良い方々でした。ただ、私のように気を遣いすぎるタイプには、長期滞在はちょっとハードかもしれません。

 ツェルマットでは当初ホテルを予約していました。これが2泊で13万円。ところが旅程が変わって1泊に。2泊を1泊に変更するには、一度キャンセルして再予約が必要。そうなると当然、6カ月前の価格より高くなるわけで…。結局2泊分をキャンセルしました。

 代わりに見つけたのは、隣町テッシュのアパートタイプ。リビング、キッチンとダイニング、寝室、バス・トイレ、そしてバルコニー付き。これで約4万円。久しぶりにラーメンを作って食べ、広めのダイニングテーブルでブログ執筆。ここは完全に「暮らすように泊まる」感覚でした。

 こういうスタイルは、若者や家族旅行ではもう定番になっているのかもしれません。私のファーストジャーニー(50年前)は、ユースホステルとホームステイがメインでしたが、時代は変わりましたね。

Last Journey(67)赤いベンチは?

 スイスのツェルマットにやって来ました。今回のミッションは、51年前に撮った写真とできるだけ同じ構図で撮影すること。ブルージュ、オスロ、アルテナでも同じ挑戦をしてきましたが、今回は特別です。なぜなら、私の「ファーストジャーニー」の中でも、特に思い出に残る一枚だからです。

 当時、ツェルマットのユースホステルに泊まっていた私は、アメリカから来ていた若い女性に「マッターホルンに一緒に行きませんか?」と勇気を出して誘いました。もちろん一人では心細かったので、大阪から来ていた大学生と共同作戦。清水の舞台から飛び降りる覚悟で挑んだ結果…見事成功! 以来、マッターホルンは私にとって特別な山になりました。

 ただし問題は、その時どこの駅周辺で撮ったのか全く覚えていないこと。そこで、事前にAIのチャックに調査依頼。「赤いベンチが写っているなら、ゴルナーグラート鉄道のリッフェルベルク駅が怪しいですよ」とのアドバイス。

 ツェルマット駅を出発すると、早速マッターホルンが視界に。隣の席の日本人旅行者に声をかけると、神戸と名古屋から来たとのこと。なんと2つ目の駅で降り、レストランを予約してあるそうです。おしゃれすぎる…!

 そして3つ目、リッフェルベルク駅に到着。チャックの言う通りに赤いベンチを探すも…視界には赤いベンチはゼロ。そもそもベンチ自体がない。レストランの若いスタッフに聞くと「近くにはないけど、歩いて20分のところに1つあります」とのこと。ただし、「赤くないけどね」とも。

 とりあえず行ってみると、確かにベンチ発見! 作りは当時の赤いベンチそっくり、ただし色は茶色。まあいいか、自分に優しい自分がそう言いました。

 しかも、その場には偶然、日本人のご夫妻と娘さん2人が。思わずお母さんにお願いして、私の隣に座ってもらい、さらに娘さんの一人からはサングラスまで貸してもらって撮影。ノリのいい、優しい家族に出会えて、本当にラッキーでした。

 そして、登山鉄道で下山している時に判明。…この場所、全然違いました。なぜなら、同じ場所なら背景にマッターホルンを入れるのが常識。でも、50年前の写真にはマッターホルンが全く写っていないのです。まあ、いいか。今日は特に、自分に優しい自分がそこにいました。

Last Journey(66)列車での出会い -5-

 チューリヒまでの7時間、各駅停車の旅が始まりました。一等車は普段それほど混まないので、今日も大丈夫だろうと席に座り、ブログを書き始めます。ところが、一つ目の駅で予想外の展開。大勢の人が乗り込んできて、私の前に立った女性を見てピンときました――これは、予約席の持ち主だ!

 「すいません」と席を立ち、別の空いている席へ移動。すると、そこへ別の女性がやってきて「ここもダメ」との一言。彼女は自分の後ろの空席を指差し、「あそこなら大丈夫」と教えてくれました。

 なるほど、予約席には予約者の名前が表示されるんですね。私が座った席には番号だけで名前がありません。

 しばらくしてトイレから戻ると、その女性と目が合いました。「先ほどはありがとうございました」と再びお礼を言うと、彼女は微笑みました。実はその後、一等車はほぼ満席に。もしあのとき彼女の助言がなければ、席を確保できなかったかもしれません。

 その方の名前はサビーネさん。フランスの大学で政治学を教えている教授です。日本に興味があるのは一目瞭然。息子さんのTシャツには、なんと「築地市場」の文字!さらに面白い話も。オーストリア人のお父さんは、かつてオーストラリアに3年間滞在し、その帰りに日本で3カ月間旅をしたことがあるそうです。1960年代と聞いてびっくり!

 列車の旅は長かったけれど、また素晴らしい出会いがありました。私たちはメールアドレスを交換し、再会を誓いました。その後届いた最初のメールにはこう書かれていました。「チューリヒ駅での乗り換えになんとか間に合った!」たった5分しかなかったのに、家族4人でオリンピック記録を塗り替えたに違いありません。

Last Journey(65)8時間の列車の旅

 今朝は、ザルツブルクからベルンまで6時間の列車旅の予定でした。しかも前のブログには、「6時間なんてたいしたことない」と、ドヤ顔で書いたばかり。それが、それが、・・・。参りました。

 駅に着き、7時56分発のチューリヒ行きを探すと、発車案内に見当たらない。嫌な予感が胸をよぎります。よく見ると、8時8分にチューリヒ行きが。しかも列車番号は予定と同じ。駅員さんに確認すると、今日は線路工事で時間変更とのこと。

 「ああ、それなら…」とひと安心して乗車。ところが、車内モニターを見て愕然。まさかの各駅停車で、チューリヒ到着は午後3時20分。つまり2時間の追加サービス。ありがたくない。こうなっては腹をくくるしかない。のんびりチューリヒへ向かい、そこでベルン行きに乗り換えです。

 でも、すべてが悪いわけじゃない。車窓から広がる景色は息をのむ美しさ。十勝の雄大さも大好きですが、それとはまた別格。これが世界に誇るオーストリアとスイスの風景なんだな、と素直に感動。

Last Journey(64)体調悪し

  帯広を出発したのが7月17日。そして今日は8月8日、母・愛子の命日です。旅もついに22日目、残りはあと13日。これからオーストリア・ザルツブルクを出て、スイスのベルンへ向かいます。約6時間の列車の旅です。出発前は「6時間は長いな…」と思っていましたが、今ではそれも日常。むしろ「6時間しかないの?」という感覚になりつつあります。

 不覚にも風邪をひいてしまいました。特に昨日のザルツブルクは結構暑く、たぶん30度はあったのではないでしょうか。北国生まれの私は寒さには強いのですが、暑さにはめっぽう弱い。これまでの旅は、ほとんどが爽やかな夏だっただけに、この暑さはこたえます。しかも、この後に待っているのはイタリア、スペイン。どれも暑さの名門(?)です。ここからが正念場です。

 長旅に病気はつきもの。これを乗り越えなければ旅は成り立ちません。50年前の3カ月の旅でも、風邪をひいたり、便秘になったり、足を痛めたり…まるで「健康障害フルコース」。しかも当時はお金もなく、騙されることもあり、まさにサバイバル旅行でした。

 体調が万全でない今は、箭原顕さんが歌ってくれた『Last Journey』を聴きながら、気持ちを奮い立たせています。なんとか残りの旅を、少しでも元気に、そして笑顔で走り抜けたいと思います。

Last Journey(63)モーツアルトの街でハルニレ

 ザルツブルクといえば、やはりモーツァルトの街。そして今は「ザルツブルク音楽祭」の真っただ中。世界中から観光客が訪れ、この街全体が音楽に包まれています。

 そんなザルツブルクに、帯広出身のピアニスト・加藤麻理さんがいます。加藤さんは5歳で帯広の才養音楽教室に通い始め、帯広柏葉高校を卒業後、1988年に渡欧。ケルン音楽大学を最優秀賞で卒業し、ハノーファー音楽大学院でさらに研鑽を。フォルクヴァング音楽大学(ドイツ)で非常勤講師を4年半務めた後、当時100倍だったザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学の採用試験に合格し、講師をしています。私に言わせると、努力の人です。

 昨夜、その加藤さんが出演された室内楽コンサートに行ってきました。会場は、歴史あるミラベル宮殿教会。荘厳な雰囲気の中、なんと今回は私のハルニレの写真とのコラボレーションが実現。会場にはパネル写真が十数点、美しく展示されていました。自分の写真がこうして海外の格式あるホールに飾られている光景に、胸が熱くなりました。

 加藤さんの演奏は、まさに圧巻。小柄な体からあれほどのエネルギーと繊細さを兼ね備えた音が出るとは! 共演のチェロ奏者も非常に素晴らしく、音楽に酔いしれるひとときでした。

 そしてコンサート後、もうひとつのサプライズが。アメリカからの旅行者の女性が、私の写真を1枚購入してくれたのです。写真集も買ってくださる方もいて、思わず夢が広がりました。いつか本格的に海外で写真展を開催したい! そんな思いが強くなった夜でもありました。

 さらに嬉しかったのは、加藤さんがディナーをご馳走してくれたこと。向かったのは、地元で人気のレストラン私が注文したのは、憧れだった「ヴィーナーシュニッツェル」。子牛の肉カツです。50年前の旅ではとても手が届かなかった味です。半世紀の時を超えてようやく味わうことができました。

 そして、急きょFM-JAGAに私と一緒に加藤さんに出てもらいました。いい雰囲気のトークでした。ザルツブルク滞在中、加藤さんにすっかりお世話になりました。

Last Journey(62)泣っ面に蜂

 今日はドイツのケルンからオーストリアのザルツブルクへ。朝7:10発の列車に乗り、ミュンヘンで乗り換え、13:21に到着するという、6時間を超える鉄道の旅の予定でした。

 ミュンヘン行きの列車が10分遅れ、乗り換えまでの猶予はわずか8分。降りたホームは13番、乗り換え先は7番。荷物を押して走る、走る。でも、こういう時に限って7番ホームは駅の端っこのさらに奥。息を切らせてたどり着いた先で待っていたのは、なぜか困り顔で立つオランダ人学生3人と、パラパラと集まる人々。――そう、列車はキャンセルになっていたのです。

 次に乗れるのは12:07発の各駅停車。しかも乗り換えあり。ザルツブルク到着予定は14:55。なんと、もともとの2倍近い時間がかかることに。到着したらランチにしようと思っていたのに、こんな日に限ってカメラバッグにいつも帯広で忍ばせているお菓子が入っていない。そんな自分を軽く責めていた、その時、頬に激痛!

 まさかの蜂の一刺し。頬のあたりを狙うとは、なかなかのテクニシャン。これが本当の「泣きっ面に蜂」ってやつなんですね。旅に出る前から「ドイツ鉄道は当てにならないよ!」と何度も言っていたNさん、いまごろ笑い転げてることでしょう。列車と蜂のダブルパンチ。

 そして、話はここで終わらないのが私の旅の醍醐味。ミュンヘンからの列車は、Muehldorf(…どう発音するのかいまだに不明)で乗り換えが必要だったのですが、なぜか1つ手前のAmpfingで降りてしまいました。理由? 列車が遅れていて焦っていたから。時計とにらめっこしていたら、「そろそろ乗り換えだ!」と勝手に勘違いして、ドアが開いた瞬間、思わず降りてしまったのです。

 次の列車は…1時間後。仕方なくAmpfingという静かな町のスーパーでパンを買い、列車の中で寂しく食べました。最終的にザルツブルクに到着したのは午後3時。ケルンのホテルを出たのが午前6時半だったので、8時間半の長旅。さすがに、疲れました。

 

アーカイブ
記事検索

お問い合わせやご相談は

お電話またはメールフォームよりご連絡ください。

0155-33-0198

(平日10:30~12:00、14:00~21:00)

お問い合わせフォーム

各コースのお申し込みは

入会ご希望の方は、本校まで直接お申込みください。

「子供向けコース」の
お申し込み

「社会人向けコース」の
お申し込み

一緒に学ぼう

Follow meJOYの公式SNSチャンネル