JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

お問い合わせ・お申し込み

(17)旅の通信、ようやくつながった!

 2ヶ月後のヨーロッパの旅に向けて、解決しなければならないことがいくつかあります。旅行中の通信手段もそのひとつ。SIMを使うべきか、ポケットWiFiを持って行くべきかで悩んでいました。

 ChatGPTに相談すると、「ヨーロッパ1ヶ月の旅には、eSIM+スマホのテザリング+モバイルバッテリーがベスト!」との答え。でも、昨日の時点では、それがいまひとつピンときていませんでした。

 今朝、たまたまデイビットさんの家の近くで写真撮影をしていて、ご自宅でコーヒーをいただくことに。さすがデイビットさん! 通信の仕組みやeSIMのことを、丁寧にわかりやすく教えてくれました。なんと、ヨーロッパほぼ全域をカバーしているeSIMサービスがあるんですね。これで行こうと思います!またひとつ、旅の課題が解決しました!



🎒

(16)デンマークでカーリング?

 今回のヨーロッパ旅行は、50年前の青春を再訪する旅で、JOYの50周年を記念する旅です。いよいよ出発まで、あと2ヶ月になりました!

 カーリングは、JOYの歴史の中でもベスト10に入る思い出のひとつです。そんなことから、今回の旅でもどこかでカーリングホールを訪ねたいと考えていました。12カ国の中で候補に挙がったのは、スウェーデンとデンマーク。スウェーデンのカーリングホールは1988年に訪ねたことがあったので、今回はデンマークに決定。

 ふと思い出したのが、2018年の世界シニアカーリング選手権でデンマークチームと対戦したこと。私にとって5回目の世界選手権で、開催地はスウェーデンのエステルスンド市でした。

 当時のブログにはこう書かれています。「デンマークとの対戦は日本にとって最終戦。デンマークはグループで全勝、メンバーはいずれもオリンピックや世界選手権の経験者という強豪チーム。日本は最後の意地を見せて接戦に持ち込み、最高のパフォーマンスを発揮。も、7対6で惜しくも敗れ、日本は2勝4敗で大会を終えました。」

 その試合後に撮ったのが、上の記念写真です。デンマークチームの選手たちはみな体が大きく、圧倒されたのを覚えています。その中の一人と今回連絡が取れ、コペンハーゲンで会えそうです。7年ぶりの再会。デンマークのカーリング事情を聞くのが楽しみです。


 デンマークといえば、アンデルセンの人魚姫の像。以前は真っ黒でひどい写真しか撮れませんでした。今回は、もっと上手に撮れるはずです。 街中で就職が内定していた松下電器(当時)の看板を見つけ、思わず記念写真。パナソニックではなく、まだ「ナショナル」の時代でした。

(15)100ユーロはいくら?

 教え子の本田くんからユーロをもらいました。初めて見る本物のユーロです。本田くんは仕事の関係で外国に行くことがあるので、ヨーロッパに行った際に残ったものかもしれません。4月28日現在、1ユーロは162.72円。もらったのは100ユーロなので、17,272円!!! けっこうな金額です。本田くん、ありがとう!

 私が行く12か国(フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、オーストリア、スイス、イタリア、スペイン、イギリス)のうち、ユーロが使えない国があります。それは、デンマーク(通貨:デンマーク・クローネ DKK)、ノルウェー(通貨:ノルウェー・クローネ NOK)、スウェーデン(通貨:スウェーデン・クローナ SEK)、イギリス(通貨:イギリス・ポンド GBP)です。

 この4か国のうち、イギリスは2020年にEUから離脱しました。ノルウェーはもともとEUに加盟していません。そして、ユニークなのはスイス。スイスはEU加盟国ではなく基本的にはスイスフランが使われていますが、観光地などではユーロも広く受け取ってくれるようです。

 ヨーロッパは国が多いだけに、通貨もややこしいですね。でも、50年前に旅行した時は、入国するたびに駅で両替していました。そして、その国を出る時までに残ったお金、特に小銭はできるだけ全部使って、ガムやチョコレートを買ったものです。それを考えると、今は少しは楽になった気がします。

 

(14)Ystad Sweden Jazz Festival

 今回の旅は、50年前に一人でまわったヨーロッパ旅行と同じルートをたどるものですが、2ヶ所だけ初めて訪れる場所があります。その一つが、スウェーデンの町・イースタッド(Ystad)です。ここはストックホルムと、デンマークのコペンハーゲンの間にある町で、毎年夏にジャズフェスティバルが開催されています。

 もともと、ここに行く予定はまったくありませんでした。それが急浮上したのは、昨年6月、札幌で聴いたスウェーデンを代表するピアニスト、ヤン・ラングレン(Jan Lundgren)の一言がきっかけに。彼にサインをもらっているとき、「来年8月にスウェーデンに行く予定です」と話したら、「それなら、イースタッドのジャズフェスティバルに来たら?」と。なんと彼はそのフェスティバルの音楽プロデューサーだったのです。

 私がイースタッドに滞在するのは8月1日。そして、なんとこの日にヤンのコンサートが! しかもビル・エバンス特集です。その告知を見て、鳥肌が立ちました。実は私は高校生の頃からビル・エバンスの大ファンで、大学生のときには札幌で彼のライブを観たこともあります。彼が他界してからは、発売されるアルバムは過去の録音ばかりで(当然ですが)、どこか物足りなさを感じていました。そんな中、ビル・エバンスに似たプレイスタイルのピアニストを探してたどり着いたのが、ヤンだったのです。

 さらに運命を感じたのは、同じ日に私の知り合いのピアニスト、マティアス・ニルソン(Mattias Nilsson)のコンサートが! 彼とは直接会ったことはありませんが、突然メールが届いて、私の写真と彼のピアノでコラボすることに。YouTubeにもその作品が上がっています。実は今回のコンサートでコラボの話が彼からあったのですが、会場が教会ということで残念ながら実現しませんでした。私のスウェーデン・デビューも幻に。

 

 

 4月15日、チケット発売開始と同時にパソコンに向かいました。まずは、ヤンのチケットを。初日だったこともあり、前から6列目のど真ん中の席をゲット!…のはずでしたが、最後の最後で問題発生。支払いができないのです。何度やってもエラー。ジョイの外国人スタッフに頼んでもうまくいかず、完全にお手上げ状態でした。

 そんな時、頼りになるのがやっぱりヤン。彼に事情をメールで伝えたところ、すぐにフェスティバルのスタッフにつないでくれて、一件落着。原因はなんとシステムエラー。私だけの問題ではありませんでした。

 ヤンとマティアス、二人に会えるのが本当に楽しみです。今回の旅のハイライトのひとつになるはず。もちろん、予定通りチケットが手に入っていれば…ですが。

 

(13)ユーレイルパスを購入!

  Last Journey が近づいてきました。2年かけて準備してきましたが、気がつけば、もう出発まであと3ヶ月です。

  4月1日まで、ユーレイルパスの特別割引(なんと15%オフ!)が実施されていました。ところが、なんと購入がギリギリの4月1日に。それだけでも焦ったのに、さらに問題が発生。決済がうまくいかず、何度試してもエラーが出てしまうのです。

  そんな時に心強い味方になってくれたのが、私の旅のアドバイザー、対木理恵さんです。彼女は旅の専門家で、これまでもいろいろなアドバイスをもらってきました。「もしかしたら、カード会社がストップをかけているのでは?」彼女がそう気づいてくれたおかげで、すぐにカード会社に電話をかけることに。案の定、その通りでした。無事に決済が通り、チケットを購入することができました!

  15%のディスカウントは大きいです。1ヶ月乗り放題のパスは、私の分が738ドル(約110,000円)、妻の分が820ドル(約123,000円)。私の方が安いのは、もちろんシニア割引があるからです。また一つ、旅への関門をクリアしました!

Screenshot

(12)記念の1枚が出てきた!

 「50年前の自分に出会う旅」まで、あと5ヶ月となりました。計画を立てたのは2023年8月。まだまだ時間があると思っていましたが、時の流れは驚くほど速いものです。

 日本を出発するのは7月18日、帰国は8月21日。航空券は買いました。現時点で決めているホテルは1か所だけで、その他の宿泊先はまだ決まっていません。あまり遅くなるとホテル代が高くなるので、早急に決めようと考えています。ユーレイルパスもまだ購入しておらず、準備はまだまだこれからです。

 ただ、50年前も状況はほぼ同じでした。往復の航空券を購入しただけで、細かい計画は現地に行ってからすべて決めました。そんな状態で3ヶ月間、ヨーロッパ12か国を旅したのですから、今振り返ると自分でも驚きます。

 今日は、ある人から昔の写真を貸してほしいと頼まれ、2時間近くそれを探していました。しかし、残念ながら見つかりませんでした。ところが、その過程で探していた別の写真が! それが上の写真で、スペインのどこかの街角で撮ったものです。

 これは、ヨーロッパ12か国を旅した中で、私が最も気に入っている写真です。イタリア・ローマで騙され、11万円を取られ、途方に暮れていた頃のもの。イタリアからスペインに入り、「もう一度頑張ろう。残されたお金でなんとか日本に帰ろう!」と誓ったときの写真ではないかと思います。この笑顔を見ると、そんな気がしてなりません。

 ジョイを始めたときのパンフレットにも、この写真を使いました。最も思い出深い一枚ですが、なかなか見つからなかったのです。この写真を眺めながら、旅の準備を進めます! たぶん、私にとってこれが最後の旅になるでしょう。

(11)50年ぶりの再会

50年ぶりに宮嶋くんと再会しました。彼は小樽商科大学時代の同級生で、同じ時期にヨーロッパで貧乏旅行。私はフランスから北へ。彼はロシア経由で北欧へ。そして、偶然、ノルウェーのオスロ駅前で会いました。それからベルゲンまで一緒に旅することに。卒業後は大手商社で海外勤務を経験。退職後の現在は札幌で人生を楽しんでいます。なんと2度目の世界一周旅行を計画しているとか。1時間は短すぎ、もっと話を聞きたかった!

 

 

 

(10)マラガでリベンジ

内田瑞子さん(スペイン大使館経済商務部アナリスト)のセミナーに行ってきました。最近のスペイン情報をゲット。来年予定しているLast Journeyにスペインも入っています。選んだのはマラガ。50年前の旅の思い出の町です。日本人4人でマラガでレンタカーを借り、グラナダ、セビリア、コルドバを回りました。そのレンタカーが砂漠で故障。それからが大変でした。レンタカー屋と訴訟問題になりそうになり、なぜか警察官が中に入り示談に。そんなわけでマラガの町は全く見ていません。今回は2日間ゆっくりマラガで楽しむ予定です。

アルハンブラ宮殿にて

(9)ジョイおじさんの町、ゲントへ

ジョイの原点を訪ねるヨーロッパの旅も1年後に迫ってきました。フランスに続く国はベルギー。50年前の旅では、ブリュッセル、ブルージュ、ゲントを訪ねました。ゲントと言えば、ジョイおじさんことフェルディナンド・デ・バックさんの町。ジョイの前身「イングリッシュハウス・ジョイ」の校舎を設計したベルギー人です。他界したのが2007年。常々お墓を訪ねたいと考えていました。そして、彼の息子さんとコンタクトが取れ、行けることに。ジョイおじさんが子供達に会いに来てくれたのは1978年。当時のにぎやかな声が聞こえてきます。私は25歳。若かった!

(8)音楽のない人生なんて・・・

 私の人生で最初に「趣味」と呼べるものがあったとしたら、それは音楽。中学生の頃から、とにかくラジオでポップスを聞くのが好きでした。最初に魅了されたのはベンチャーズ。私の周りでは、ビートルズ以上に人気がありました。そして、大学生時代はジャズに夢中でした。

 1974年のヨーロッパ放浪中、いくつかのコンサートに行きました。特に印象深いのは、ロンドンで見たジーザス・クライスト・スーパースター。これはイエス・キリスト(ジーザス・クライスト)が十字架にかけられるまでの最後の7日間を描いたミュージカルで、私が生まれて初めて見たミュージカルでした。

 英語が難しく、キリスト教に関する知識もないため、まったく理解できませんでした。今考えても、それは当然です。今年、劇団四季が創立70周年を記念して、この作品を上演すると聞きました。この作品が彼らにとっての原点だそうです。

 郊外のホームステイ先からロンドン市内まで見に行きました。当時の日記によると、開始は夜の8時、終了は10時20分で、ホームステイ先に戻ったらほぼ真夜中。家族はすでに寝ていました。

 もう一つの思い出は、オーストリアのザルツブルグでのコンサートです。モーツアルトの生家で聞いた、人生初の室内楽でした。チェンバロの音がとにかく美しかったことを覚えています。残念ながら、もうここでライブを聴くことはできなさそうです。

 2025年のヨーロッパ旅行では、いくつかコンサートに行ければと思っています。オランダでは、大好きなピアニスト、ヨス・ヴァン・ビーストのライブを聞きたい。シンガーのマリエル・コールマンがゲストで出演するなら、最高です。

 スウェーデンには、好きなミュージシャンがいます。まずは、ピアニストのマティアス・ニルソン。彼の音楽と私の写真でコラボしたことがあります。ヤン・ラングレンも素晴らしいピアニストです。スイート・ジャズ・トリオの音楽にはいつも癒されています。ただ、私が訪れるストックホルム近郊には、彼らはどうも住んでいないようです。

 ザルツブルグでは、帯広出身のピアニスト、加藤麻理さんの演奏を聞いてみたいです。ここには2日間しかいないので、タイミングが合えば良いのですが。

 ロンドンが旅の最終目的地です。高校生時代から好きなクリフ・リチャードのコンサートが偶然あれば、これ以上のクライマックスはないでしょう。80歳を超えても精力的に歌う彼には、いつも勇気づけられます。

 

A Life Without Music…?

    If there was something I could call a “hobby” in my life for the first time, it would be music. Since junior high, I’ve loved listening to pop music on the radio. The first band that captivated me was The Ventures. In my circle, they were more popular than The Beatles. Then, during my university years, I was obsessed with jazz.

    In 1974, while wandering around Europe, I went to several concerts. The most memorable was seeing Jesus Christ Superstar in London. It was the first musical I had ever seen, depicting the last seven days leading up to Jesus Christ being crucified.

    Because my English was poor and I had no knowledge of Christianity, I couldn’t understand it at all. Even now, I think that was to be expected. I heard that this year, the Shiki Theatre Company will perform this work in celebration of their 70th anniversary. It seems that this work is their origin.

     I traveled from my homestay in the suburbs to downtown London to see it. According to my diary at the time, it started at 8 PM and ended at 10:20 PM, and by the time I returned to my homestay, it was almost midnight. The family had already gone to bed.

   Another memory is a concert in Salzburg, Austria. It was my first chamber music experience, heard in Mozart’s birthplace. I remember how beautiful the harpsichord sounded. Unfortunately, it seems I won’t be able to hear a live performance there again.

    For my European trip in 2025, I hope to attend several concerts. In the Netherlands, I’d love to hear a live performance by my favorite pianist, Jos van Beest. It would be great if singer Marielle Koeman, could perform as a guest.

    In Sweden, I have favorite musicians. First, the pianist Mattias Nilsson, with whom I have collaborated on a project combining his music and my photographs. Jan Lundgren is also a fantastic pianist. I am always soothed by the music of the Sweet Jazz Trio. However, it seems they do not live near Stockholm, where I will be visiting.

    In Salzburg, I’d like to listen to Mari Kato, a pianist from Obihiro. I’ll only be there for two days, so it would be great if the timing works out.

   London is the final destination of my trip. If there happens to be a concert by Cliff Richard, whom I’ve liked since high school, there could be no better climax. I am always encouraged by him, who sings energetically even after turning 80.

(7)3年ぶりの訪問

 1974年7月20日、私は3ヶ月間のヨーロッパ旅行に出発。羽田からフランスのパリへ向かったこの日、旅の準備には1年以上を費やしていました。当時はインターネットもなく、現地に知り合いもいませんでした。

 そんな中での大きな支えが、坂井種次先生でした。先生は札幌の私立大学の講師で、小樽商科大学では財務論を担当していました。新米教師としての初々しさがあり、私は先生に親近感を覚え、講義後に質問することが多かったです。年齢が近かったこともあり、次第に兄のような存在になり、プライベートな話もするようになりました。

 坂井先生は、日本のボブスレー界の草分けの一人で、1976年のインスブリック冬季オリンピックでは日本チームの監督を務めていました。そういった背景から、ヨーロッパに幅広い交友関係を持っていた先生は、私の旅行中に訪ねることができる人を紹介してくれました。特に印象深いのは、サラゴサで出会った家族です。紹介された住所は、そのボブスレー選手の実家で、本人はマドリッドの大学生でした。

 彼の両親はオリーブ収穫用ゴム籠の工場を経営しており、訪問した日は一日中世話をしてくれました。彼らはジェスチャーだけでコミュニケーションを取り、言葉の壁を越えて温かく迎えてくれたのです。家は立派で最新の電気製品で整えられていました。特に嬉しかったのは美味しい食事をたくさん出してくれたことです。当時は毎日お腹が空いていました。

 2009年、坂井先生(札幌学院大学教授)は69歳で亡くなりました。毎年先生の仏壇に手を合わせることを誓っていましたが、コロナ禍で3年間訪れることができませんでした。11月25日、札幌の自宅を訪れ、Last Journey計画を報告。あの懐かしい笑い声が聞こえてきたような気がしました。

 

First Visit in Three Years

    On July 20, 1974, I set off on a three-month trip to Europe. Departing from Haneda to Paris, France, I had spent over a year preparing for this journey. At that time, there was no internet, and I knew no one locally.

    A significant support during this time was Professor Taneji Sakai. He was a lecturer at a private university in Sapporo and taught financial theory at Otaru University of Commerce. As a fresh-faced teacher, he had a certain newness, and I felt a closeness to him, often asking questions after his lectures. Being close in age, he gradually became like an older brother to me, and we started having personal conversations.

    Professor Sakai was one of the pioneers in the Japanese bobsleigh scene and served as the manager of the Japanese team at the 1976 Innsbruck Winter Olympics. With such a background, he had a wide range of contacts in Europe and introduced me to people I could visit during my travels. Particularly memorable was a family I met in Zaragoza. The address he gave me was the family home of a bobsleigh athlete, who was a university student in Madrid.

    His parents ran a factory for olive-harvesting rubber baskets and took care of me all day when I visited. They communicated solely through gestures, warmly welcoming me despite the language barrier. Their home was impressive, equipped with the latest electrical appliances. What I especially appreciated was the delicious food they offered, as I was hungry every day.

    In 2009, Professor Sakai (Professor at Sapporo Gakuin University) passed away at the age of 69. I had vowed to pay respects at his altar every year, but I couldn’t visit for three years due to the COVID-19 pandemic. On November 25, I visited his home in Sapporo and reported on the Last Journey plan. It felt as if I could hear his nostalgic laughter.

(6)赤いベンチ

 今回の旅は1ヶ月で12カ国を回る予定です。1カ所に約2日間滞在すると計算すると、1つの国で訪れることができる都市は1つか2つくらいになるのかも。

 スイスはツェルマットを選ぼうと思います。あの有名なマッターホルンが見える町です。本当にその景色は美しかった! 日記によれば、天気が悪くユースホステルに3日間滞在しなければならなかったようです。

 チャンスが巡ってきた日、私は大阪から来た大学生と、ユースホステルで出会ったアメリカ人の女の子、メアリーをマッターホルンが見える展望台に誘おうと思いました。しかし、シャイな私たち2人はなかなか声をかけることができませんでした。

 それでも、その朝、勇気を振り絞り彼女に声をかけ、一緒に観光することになりました。その時の2ショット写真が今も手元に。私はサングラスをかけ、少し格好をつけています。この写真は、旅の中で最も特別な思い出の1枚です。メアリーは当時19歳でした。

 ツェルマットでその赤いベンチを探して、再び同じような写真を撮りたいと考えています。驚くことに、ネットでの情報によれば、その赤いベンチはスイスの観光地にまだ存在するようです。まったく同じベンチを見つけることができるかもしれません。

 実は、メアリーとは今でも連絡を取り合っています。別れ際に住所を交換し、帰国後はペンパルとして手紙のやり取りを始めました。現在は「ペンパル」という言葉自体が使われないですね。当時は、生の英語と触れ合う機会が少なかったので、それは貴重な経験になりました。最近は、もちろん、メールでのやり取りをしています。

 あれから50年が経ちました。今、私たちの髪は白くなり、多くの経験を重ねてきました。彼女は現在、アメリカのコロラド州に住んでいます。2025年に、もしツェルマットのあの赤いベンチで再会することができたら、それはどこかのテレビ局でドキュメンタリー番組になりそうですね。

 

               The Red Bench

     I plan to travel to 12 countries in one month. By my calculations, if I stay in one place for about two days, I will likely be able to visit only one or two cities in each country.

In Switzerland, I’m thinking of choosing Zermatt. That’s the town from which the famous Matterhorn can be seen. The view was truly breathtaking! According to my diary, due to bad weather, I had to stay at the youth hostel in Zermatt for three days.

    On a day when the opportunity arose, I thought of inviting Mary, an American girl I met at the youth hostel, to an observation deck with a view of the Matterhorn, along with a college student from Osaka. However, the two of us, being shy, hesitated to approach her.

    Nevertheless, that morning, we mustered the courage to speak to her and ended up touring together. I still have a photo of the two of us from that time. In the picture, I am wearing sunglasses, trying to look cool. This photo remains one of the most special memories of my trip. Mary was 19 at the time.

    I want to find that red bench in Zermatt and take a similar photo again. Surprisingly, according to online information, that red bench still exists in the Swiss tourist spot. I might be able to find the very same bench.

    In fact, Mary and I have kept in touch ever since. We exchanged addresses when we parted, and after returning home, we started exchanging letters as pen pals. Nowadays, the term “pen pal” isn’t used much. At that time, having the opportunity to engage with authentic English was a valuable experience. Nowadays, of course, we correspond by email.

    It’s been 50 years since then. Now, our hair has turned white, and we’ve had many experiences over the years. She currently lives in Colorado, USA. If we manage to meet again at that red bench in Zermatt in 2025, it would probably make for a great documentary on some television channel.

アーカイブ
記事検索

お問い合わせやご相談は

お電話またはメールフォームよりご連絡ください。

0155-33-0198

(平日10:30~12:00、14:00~21:00)

お問い合わせフォーム

各コースのお申し込みは

入会ご希望の方は、本校まで直接お申込みください。

「子供向けコース」の
お申し込み

「社会人向けコース」の
お申し込み

一緒に学ぼう

Follow meJOYの公式SNSチャンネル