Last Journey(36)Vicの友人のJohnと
ジョイのVic先生の友人・Johnが、隣町のライデンからアムステルダムまで会いに来てくれました。お互いに「こんなにいい人はいない」「知り合えて本当にラッキーだった」と言い合える関係。そんなふうに言い合える友人がいるというのは、なんて幸せなことなんでしょう。
そして、Johnの息子さんがまたすごかった! まだ9歳だというのに、英語でのコミュニケーションがまったく自然。会話のキャッチボールが普通にできるのです。さすがオランダ。
EF(Education First)が毎年発表している英語能力指数(EF EPI)によれば、オランダは2024年版で116か国中堂々の第1位。納得です。
ちなみに、iPhoneでその様子を動画に撮らせてもらいました!
Last Journey(35)カレル・ポアリーさんと!
Last Journey(34)小橋さん&トニーに再会
Last Journey(33)コアハウスでホームスティ
久しぶりに、ベルギーのゲント市に住むパットさんの家でホームステイさせてもらっています。最後にホームステイをしたのは、確かカナダのレスブリッジ。カーリング交流の一環でした。あれからもう30年ほど経つでしょうか。今回は、それ以来の、そして人生でも貴重な経験になりそうです。
パットさんの家は「コアハウス(cohousing)」でした。コアハウスという言葉、聞いたことがありますか? 私はまったく知りませんでした。とてもヨーロッパ的な暮らし方で、特にベルギー、オランダ、デンマーク、ドイツ、スウェーデンでは、かなり普及しているようです。
コアハウスの基本的な考え方は、複数の家族や個人が一つの敷地内にそれぞれの住居を持ちながら、キッチン、食堂、庭、洗濯室、ゲストルームなどの共用スペースをシェアして暮らす、というスタイルです。この程度なら日本にもありそうですが、パットさんが暮らすコアハウスは、その先の先を行っている印象でした。
このブログで紹介するにはスペースが足りません! 写真もたくさん撮ったので、帯広に戻ったら、何かの機会で話すことができればいいのですが。どうやら、ゲントは「コアハウスの聖地」ともいえる場所だったようです。
Last Journey (32)デ・バックさんとの再会
フェルディナンド・デ・バックさんと初めて会ったのは、1975年、金沢市でした。私は就職で大阪へ行く途中。デ・バックさんは姉妹都市交流の一環でベルギーのゲント市から来日。その日、通訳を務める予定だった大学生が体調を崩し、急きょ私が半日通訳になったのが出会いでした。それ以来、交流は続いていました。
1977年、私は会社を辞め、帯広で英語学校「ジョイ」をスタート。そのとき、校舎のデザインに参考にさせてもらったのが、建築家だったデ・バックさんの自宅でした。つまり、ジョイの最初の校舎は、彼の家がモデルだったのです。
デ・バックさんは、その後もジョイのために来日してくれたり、生徒たちにプライズを送ってくれたりと、私にとって心強いサポーターでした。そんな彼が2007年に他界。いつかお墓参りに行きたいとずっと思っていました。それが今回、息子さんのパットさんのおかげでようやく実現したのです。
午前中にゲントに到着し、パットさんの運転でお墓へ。こらえていたつもりでしたが、50年間の感謝の気持ちがこみ上げ、自然と涙がこぼれました。
その後、デ・バックさんのかつてのご自宅へ。私はここを過去に2度訪れたことがあります。1度目はジョイを始めたばかりの頃。2度目はジョイ20周年の年、赤いバラを20本持ってサプライズ訪問しようとしたのですが、見事に失敗。今回は3度目の訪問でした。今は違う人が所有しています。リノベーションで少し雰囲気は変わっていましたが、屋根の形はあの頃のままでジョイの初代校舎とそっくりでした。こちらが真似したのですから、当然ですね。デ・バックさんとの思い出がぎっしり詰まった、特別な1日になりました。
Last Journey (31)ブルージュでランチ
各国の物価を簡単に比較することはできませんが、ベルギーのブルージュでのランチをご紹介します。場所は街の人気の広場に近いレストラン。写真を見ての通り、名前はモーツァルトなんでしょう。クラッシックの雰囲気などまったくないランチでした。
注文したのは、サラダ、オムレツ、パエリア風チャーハン、スパークリングウォーター(中瓶)。サラダはとてもおいしかったです。他の2品はまあまあ。ウォーターは抜群においしくて、もっと飲みたかったけれど、値段を考えてやめました。
これで合計75.50ユーロ。1ユーロ172円で計算すると12,986円。感じ方は人それぞれでしょうが、私には高い! なぜかレシートには日本語の表示が。日本人観光客は見かけませんでした。ブルージュで2日間滞在しましたが、見かけたのはわずか2組程度でした。円安が厳しいですね。
Last Journey(30)思い出のユース
人生で初めてのユースホステルはブリュッセルでした。でも、そのホステルがあまりにひどくて、ユースを使った旅にすっかり自信を失っていました。ところが翌日、偶然知り合った東京からの大学生と一緒にブルージュへ行くことになり、その街がとても気に入りました。そこで「今日はユースに泊まろう!」ということに。そのユースはとてもきれいで、集まっていた若者もいい人たちばかり。おかげで、ユースを使った旅を続ける気持ちになりました。そんなわけで、ブルージュのユースは私にとって特別な思い出の場所です。
今回の旅では、当時のメモをもとに駅前から歩き始めました。なにせ50年の年月が流れていて、記憶はほとんど残っていません。歩くこと30分──「こんなに遠かっただろうか?」と自分でも疑いたくなるくらいでした。
途中、家の前で車を掃除していたおじさんに「この近くにユースホステルはありませんか?」と聞いてみると、「3つ目の通りにあるよ」との返事。もう涙が出そうになりました。「もしかしたら、50年前に泊まったユースかもしれない」──そんな思いで、その通りを歩いていくと、ありました! 建物を見て、当時の写真と比べてみると、今でも面影がしっかり残っていました。
受付にはアレクサンダーという青年がいて、日本に来たことがあるとのことで、少し日本語を話し始めてくれました。ラッキー! 日本にも興味があるようで、私の話をとても喜んで聞いてくれました。
現在は「ユースホステル」という名称ではなく、「Europa Hostel」という名前になっていました。建物は増築したようで少し違うみたいでしたが、雰囲気や空気感は変わっていません。
ただひとつ違うのは宿泊料。当時は確か朝食と夕食付きで1,800円ぐらいだったと記憶していますが、今は朝食付きで36ユーロ(約6,120円)とのこと。でも、時代は変わっても大切な思い出は色あせません。
Last Journey (29)ブルージュ、赤の街
ベルギーのブルージュに来ました。50年前の旅では、パリからベルギーのブリュッセルに入り、1泊しました。あのときは、大都市が続いたせいか、田舎者の私はリラックスできず、ずっと緊張と不安の中。「この先、大丈夫か?」と自分に問いかけていたのを覚えています。そんな中、少しホッとできたのが、このブルージュでした。
中世の趣が残る小さな街で、運河が流れ、「北のベニス」とも呼ばれています。静かで美しく、とても魅力的な場所でした。そして、私にとってヨーロッパで一番か二番に好きな街になったのです。
ちょうど今、街の中心にある広場では、かなり大規模なコンサートが開かれていました。流れていたのはロック。古い街並みとは一見ミスマッチに思えるのに、不思議なほどよく合っていて、若者から年配の方まで楽しんでいました。
そして、新たに気づいたことがひとつ。この古い街並みに一番似合うのは、ブルー(青)ではなく、レッド(赤)かもしれません。赤レンガの建物、灰色の石畳、そして人々の笑顔。ここは、本当に心が落ち着く、そんな街です。

Last Journey (28)ユーロスターに
さあ、パリからユーレイルパスを使った鉄道の旅の始まりです。初日は、いきなりヨーロッパの国際高速列車・ユーロスターに乗車。緊張感は前日からありました。予約は本当にちゃんと取れているのか? メールでは「あれをしろ」「これをしろ」と色々と指示が来るけれど、大丈夫なのか……。でも、実際に乗ってみると、意外とスムーズでした。
ひとつ困ったのは荷物置き場。思ったよりスペースが小さく、早めに乗らないと使えない仕組みです。結局、大きなスーツケースは私の足元に置くことに。
車窓からの風景は、まるで十勝平野を走っているかのようでした。牧草ロールもできていて、懐かしい光景です。ただひとつ違ったのは、風力発電の風車(wind turbines)があちこちに立っていたこと。パリからベルギーのブリュッセルまでは、十勝以上に雄大な景色が広がっていました。町も少なく、トンネルも一つだけ。快適な1時間半の旅でした。
Last Journey (27)旅の楽しみ
シャルル・ド・ゴール空港からパリ市内のホテルへ向かう列車の中で、前の席に座っていたのがヴィンセントさんです。英語がとても上手だったので、最初はフランス人だとは思いませんでした。こんなことを書くと、フランスの方に叱られてしまうかもしれませんね。
話を聞くと、イギリスで学生生活を送った経験があるとのこと。現在は弁護士をしており、今回は仕事でアメリカへ行った帰りだそうです。そんな彼が実は食通で、特に日本食が大好きだということで、話が大いに盛り上がりました。学生時代に日本人の友人もいたそうで、そこから日本の食文化に興味を持つようになったのだとか。
Last Journey (26)フランスの物価は?
旅行に来る前から、友人やテレビ、ラジオの放送などを通じて、ヨーロッパ諸国の物価の高さについては聞いていました。では実際はどうなのでしょうか? ランチは、ホテルのフロントで教えてもらったビストロへ。フロントの男性は「リーズナブルですよ」と言っていました。
注文したのは、トマトサラダ、オムレツ(卵3個とのこと)、チーズバーガー(なぜかフランスで)、デザートにクレープ、それにペリエ。すべて1つずつ頼みました。味はというと、帯広の平均的なお店くらいでしょうか。ただ、さすがフランス、店の雰囲気はとても良かったです。

チーズバーガーは14.90ユーロ。1ユーロ173円で換算すると、2,577円。今日のランチは日本円で7,473円。確かにこれだけ出せば、帯広ではもっと美味しいものが食べられますね。金額的には、やはり日本よりは高いですね。でも、50年前に初めてフランスに来たとき、最初に食べたサンドイッチが日本円で600円だったという記憶があります。そのときの私の感想は、「こんなに物価が高かったら、3カ月もヨーロッパを旅するなんて無理だ。どうしよう……」でした。あの頃は、1ドル=300円の時代です。
それを思えば、今は「こんなもんか」と思えます。むしろ、1ドル=70円台だった2010年のころが、異常だったのかもしれません。





































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