Last Journey (32)デ・バックさんとの再会
フェルディナンド・デ・バックさんと初めて会ったのは、1975年、金沢市でした。私は就職で大阪へ行く途中。デ・バックさんは姉妹都市交流の一環でベルギーのゲント市から来日。その日、通訳を務める予定だった大学生が体調を崩し、急きょ私が半日通訳になったのが出会いでした。それ以来、交流は続いていました。
1977年、私は会社を辞め、帯広で英語学校「ジョイ」をスタート。そのとき、校舎のデザインに参考にさせてもらったのが、建築家だったデ・バックさんの自宅でした。つまり、ジョイの最初の校舎は、彼の家がモデルだったのです。
デ・バックさんは、その後もジョイのために来日してくれたり、生徒たちにプライズを送ってくれたりと、私にとって心強いサポーターでした。そんな彼が2007年に他界。いつかお墓参りに行きたいとずっと思っていました。それが今回、息子さんのパットさんのおかげでようやく実現したのです。
午前中にゲントに到着し、パットさんの運転でお墓へ。こらえていたつもりでしたが、50年間の感謝の気持ちがこみ上げ、自然と涙がこぼれました。
その後、デ・バックさんのかつてのご自宅へ。私はここを過去に2度訪れたことがあります。1度目はジョイを始めたばかりの頃。2度目はジョイ20周年の年、赤いバラを20本持ってサプライズ訪問しようとしたのですが、見事に失敗。今回は3度目の訪問でした。今は違う人が所有しています。リノベーションで少し雰囲気は変わっていましたが、屋根の形はあの頃のままでジョイの初代校舎とそっくりでした。こちらが真似したのですから、当然ですね。デ・バックさんとの思い出がぎっしり詰まった、特別な1日になりました。