JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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Last Journey(40)列車での出会い -3-

 朝6時に起きて、7時8分発のコペンハーゲン行きの列車に乗る。コンパートメントにはすでに女性がひとり。イギリス人で、息子さんが住むスウェーデンのストックホルムが最終目的地とのこと。

 話してみると、英語がとてもわかりやすい。今までイギリス英語には少し苦手意識があったけれど、こんなに聞き取りやすいなんて。ジョイの先生にいいかも、なんて心の中で思ってしまう。聞けば、元・幼稚園の先生だったとか。なるほど、納得。

 次にやって来たのは、強そうだけど笑顔が可愛いドイツ人の男性。ベルリンから、スウェーデンにある別荘に向かう途中らしい。イベント会社に勤めていて、話がとにかく面白い。そして、驚くほど英語がうまい。高校時代にアメリカでの留学経験があるとのこと。

 気づけば、5時間の列車がすっかり私の英会話教室に。1等車のいいところは、いろんな人と出会えて、自然と会話が生まれること。ただ、話に夢中になりすぎて、車窓からの写真を撮る時間がほとんどなかったのが、ちょっと残念。

Last Journey(39)列車での出会い -2-

  RheineからOsnabrück Hbfまでの列車の旅は、とても素晴らしいものでした。人生で初めて、2階席に座る体験をしました。ユーレイルパスの魅力のひとつは、1等車を利用できることです。

 隣に座っている女性は、アムステルダムで不動産業を営んでいるそうです。声をかけてみると、偶然にも彼女もハンブルクへ向かうところで、すぐに意気投合。列車の中では、いろいろな話に花が咲きました。

 もともとはご主人の仕事の関係でインドからオランダに来たとのことですが、今ではオランダでの暮らしをとても気に入っているそうです。本当に感じのいい方で、なんと車中でのランチにパンまで分けてくれました!

 ハンブルク駅では、列車を背景にツーショットを撮って別れました。もちろん、Facebookでも友達になりました!

Last Journey(38)列車での出会い -1-

 アムステルダムからドイツ・ハンブルグへの列車の旅が始まりました。乗り込んだコンパートメントに入ると、男の子が顔をくしゃくしゃにして大声で泣いていました。お父さんに事情を聞くと、なんとアムステルダム駅にカバンを忘れてきたとのこと。列車はすでに走り出していて、カバンの中には大事なカードや小物、現金も入っていたそうです。

 一家はアルゼンチンから来た旅行者で、ご夫妻は歯科医。そんな絶体絶命のときに現れたのが、オランダ人の列車スタッフ。「私に任せなさい!」とばかりに電話をかけまくり、ついに駅にカバンが残されていることを突き止めました。

 とはいえ、旅を続けている家族がそれを受け取るのは簡単ではありません。でも幸運なことに、彼らの友人もヨーロッパを旅行中で、アムステルダムに立ち寄ってくれることに。無事に一件落着! 私は思わず「あっぱれ!」と声を上げ、記念写真を撮らせてもらいました。 

 泣いていた少年の笑顔が、今度は本当に輝いていました。そして、このことがきっかけで、Rheine駅で列車を乗り換えるまでご夫妻と楽しい会話が続いたのでした。

Last Journey(37)オランダでメキシカン

 アムステルダム最後の食事は、なんとメキシコ料理店へ。「どうしてオランダでメキシカン?」と思う方もいるかもしれません。その理由は、ゲントでお世話になったパットさんの息子さんがこのお店のオーナーだったからです。

 これが、まさに革命的なメキシカン!正直、私はあまりメキシコ料理が得意ではなかったのですが、これは本当にうなりました。出てきたすべての料理が美味しくて感動。

  店の名前は「Bacalar(バカラール)」。アムステルダムに行ったら、ぜひ立ち寄ってみてください。おすすめです!

Last Journey(36)Vicの友人のJohnと

 ジョイのVic先生の友人・Johnが、隣町のライデンからアムステルダムまで会いに来てくれました。お互いに「こんなにいい人はいない」「知り合えて本当にラッキーだった」と言い合える関係。そんなふうに言い合える友人がいるというのは、なんて幸せなことなんでしょう。

 そして、Johnの息子さんがまたすごかった! まだ9歳だというのに、英語でのコミュニケーションがまったく自然。会話のキャッチボールが普通にできるのです。さすがオランダ。

EF(Education First)が毎年発表している英語能力指数(EF EPI)によれば、オランダは2024年版で116か国中堂々の第1位。納得です。

 ちなみに、iPhoneでその様子を動画に撮らせてもらいました!

Last Journey(35)カレル・ポアリーさんと!

 今朝はなんと私の好きなジャズピアニストの一人、カレル・ポアリーさんとコーヒータイム。今回偶然facebookで繋がりました。彼は日本で人気のヨーロピアン・ジャズ・トリオの初代ピアニストで、その後、カレル・ポアリー・トリオとして活動しています。

 私は初期の頃から大好きで、アルバムはほとんどもっています。持参したジャケット(特に私のお気に入り)にサインしてもらいました。その後、2人でアムステルダムを散策しながら、ジャズ談義。至福の時間でした。

Last Journey(34)小橋さん&トニーに再会

 オランダ・アムステルダム在住の小橋敦子さん(ピアノ)とトニー・オーバーウォーターさん(ベース)に再会! 昨年6月、幕別百年記念ホールでのライブですっかり魅了されて以来の再会でした。

 ランチをしながら楽しい会話を交わし、さらに最新アルバムのプレゼントまでいただきました。このアルバムは、すでにFM-JAGAでも紹介済みです。

 ランチの後は、トニーさんの車で観光客があまり行かないような穴場スポットへ。そして最後は、二人がライブや録音に使っているスタジオにも案内してもらいました。まるで夢のような午後でした。

 またいつか、十勝の空の下で二人の演奏を聴ける日を楽しみにしています。

Last Journey(33)コアハウスでホームスティ

 久しぶりに、ベルギーのゲント市に住むパットさんの家でホームステイさせてもらっています。最後にホームステイをしたのは、確かカナダのレスブリッジ。カーリング交流の一環でした。あれからもう30年ほど経つでしょうか。今回は、それ以来の、そして人生でも貴重な経験になりそうです。

 パットさんの家は「コアハウス(cohousing)」でした。コアハウスという言葉、聞いたことがありますか? 私はまったく知りませんでした。とてもヨーロッパ的な暮らし方で、特にベルギー、オランダ、デンマーク、ドイツ、スウェーデンでは、かなり普及しているようです。

 コアハウスの基本的な考え方は、複数の家族や個人が一つの敷地内にそれぞれの住居を持ちながら、キッチン、食堂、庭、洗濯室、ゲストルームなどの共用スペースをシェアして暮らす、というスタイルです。この程度なら日本にもありそうですが、パットさんが暮らすコアハウスは、その先の先を行っている印象でした。

 このブログで紹介するにはスペースが足りません! 写真もたくさん撮ったので、帯広に戻ったら、何かの機会で話すことができればいいのですが。どうやら、ゲントは「コアハウスの聖地」ともいえる場所だったようです。

Last Journey (32)デ・バックさんとの再会

 フェルディナンド・デ・バックさんと初めて会ったのは、1975年、金沢市でした。私は就職で大阪へ行く途中。デ・バックさんは姉妹都市交流の一環でベルギーのゲント市から来日。その日、通訳を務める予定だった大学生が体調を崩し、急きょ私が半日通訳になったのが出会いでした。それ以来、交流は続いていました。

 1977年、私は会社を辞め、帯広で英語学校「ジョイ」をスタート。そのとき、校舎のデザインに参考にさせてもらったのが、建築家だったデ・バックさんの自宅でした。つまり、ジョイの最初の校舎は、彼の家がモデルだったのです。

 デ・バックさんは、その後もジョイのために来日してくれたり、生徒たちにプライズを送ってくれたりと、私にとって心強いサポーターでした。そんな彼が2007年に他界。いつかお墓参りに行きたいとずっと思っていました。それが今回、息子さんのパットさんのおかげでようやく実現したのです。

 午前中にゲントに到着し、パットさんの運転でお墓へ。こらえていたつもりでしたが、50年間の感謝の気持ちがこみ上げ、自然と涙がこぼれました。

 その後、デ・バックさんのかつてのご自宅へ。私はここを過去に2度訪れたことがあります。1度目はジョイを始めたばかりの頃。2度目はジョイ20周年の年、赤いバラを20本持ってサプライズ訪問しようとしたのですが、見事に失敗。今回は3度目の訪問でした。今は違う人が所有しています。リノベーションで少し雰囲気は変わっていましたが、屋根の形はあの頃のままでジョイの初代校舎とそっくりでした。こちらが真似したのですから、当然ですね。デ・バックさんとの思い出がぎっしり詰まった、特別な1日になりました。

Last Journey (31)ブルージュでランチ

 各国の物価を簡単に比較することはできませんが、ベルギーのブルージュでのランチをご紹介します。場所は街の人気の広場に近いレストラン。写真を見ての通り、名前はモーツァルトなんでしょう。クラッシックの雰囲気などまったくないランチでした。

 注文したのは、サラダ、オムレツ、パエリア風チャーハン、スパークリングウォーター(中瓶)。サラダはとてもおいしかったです。他の2品はまあまあ。ウォーターは抜群においしくて、もっと飲みたかったけれど、値段を考えてやめました。

 これで合計75.50ユーロ。1ユーロ172円で計算すると12,986円。感じ方は人それぞれでしょうが、私には高い! なぜかレシートには日本語の表示が。日本人観光客は見かけませんでした。ブルージュで2日間滞在しましたが、見かけたのはわずか2組程度でした。円安が厳しいですね。

Last Journey(30)思い出のユース

 

 人生で初めてのユースホステルはブリュッセルでした。でも、そのホステルがあまりにひどくて、ユースを使った旅にすっかり自信を失っていました。ところが翌日、偶然知り合った東京からの大学生と一緒にブルージュへ行くことになり、その街がとても気に入りました。そこで「今日はユースに泊まろう!」ということに。そのユースはとてもきれいで、集まっていた若者もいい人たちばかり。おかげで、ユースを使った旅を続ける気持ちになりました。そんなわけで、ブルージュのユースは私にとって特別な思い出の場所です。

 今回の旅では、当時のメモをもとに駅前から歩き始めました。なにせ50年の年月が流れていて、記憶はほとんど残っていません。歩くこと30分──「こんなに遠かっただろうか?」と自分でも疑いたくなるくらいでした。

 途中、家の前で車を掃除していたおじさんに「この近くにユースホステルはありませんか?」と聞いてみると、「3つ目の通りにあるよ」との返事。もう涙が出そうになりました。「もしかしたら、50年前に泊まったユースかもしれない」──そんな思いで、その通りを歩いていくと、ありました! 建物を見て、当時の写真と比べてみると、今でも面影がしっかり残っていました。

 受付にはアレクサンダーという青年がいて、日本に来たことがあるとのことで、少し日本語を話し始めてくれました。ラッキー! 日本にも興味があるようで、私の話をとても喜んで聞いてくれました。

 現在は「ユースホステル」という名称ではなく、「Europa Hostel」という名前になっていました。建物は増築したようで少し違うみたいでしたが、雰囲気や空気感は変わっていません。

 ただひとつ違うのは宿泊料。当時は確か朝食と夕食付きで1,800円ぐらいだったと記憶していますが、今は朝食付きで36ユーロ(約6,120円)とのこと。でも、時代は変わっても大切な思い出は色あせません。

Last Journey (29)ブルージュ、赤の街

 ベルギーのブルージュに来ました。50年前の旅では、パリからベルギーのブリュッセルに入り、1泊しました。あのときは、大都市が続いたせいか、田舎者の私はリラックスできず、ずっと緊張と不安の中。「この先、大丈夫か?」と自分に問いかけていたのを覚えています。そんな中、少しホッとできたのが、このブルージュでした。

 中世の趣が残る小さな街で、運河が流れ、「北のベニス」とも呼ばれています。静かで美しく、とても魅力的な場所でした。そして、私にとってヨーロッパで一番か二番に好きな街になったのです。

 ちょうど今、街の中心にある広場では、かなり大規模なコンサートが開かれていました。流れていたのはロック。古い街並みとは一見ミスマッチに思えるのに、不思議なほどよく合っていて、若者から年配の方まで楽しんでいました。

 そして、新たに気づいたことがひとつ。この古い街並みに一番似合うのは、ブルー(青)ではなく、レッド(赤)かもしれません。赤レンガの建物、灰色の石畳、そして人々の笑顔。ここは、本当に心が落ち着く、そんな街です。

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