JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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Last Journey(87)帯広に戻りました!

 今日(22日)午後の便で帯広に戻りました。少し疲れはありますが、元気です。田代さんが迎えに来てくれました。やっぱり帯広はいい。なにせ、預けた荷物がすぐに出てくるのですから!

 まずは携帯電話を直してもらうためにソフトバンクへ。どうやら元々のSIMカードまで間違って消してしまったようです。対応してくれたお兄さんがとてもよかった。高速フィンガーテクニックで直してくれ、しかも無料。帯広はいい!

 撮影した約4,000枚の写真を現在ダウンロード中。とてもきれいに撮れていて大満足です。

そして、午後5時半から授業スタート。気持ちを切り替えて頑張ります。

Last Journey(86)Last Journey

 
 
 私は1974年、大学4年生のときに、ヨーロッパ12か国を3か月かけて旅しました。当時の若者の間で流行していた「自分探しの旅」です。この旅で得た最大の成果は、自分に対するほんの少しの自信でした。その小さな自信がなければ、24歳で脱サラし、JOYを始めることはできなかったと思います。
 ヨーロッパの旅は、まさに私の原点なのです。 そして今年の夏、来年のJOY創立50周年に向けて、当時とほぼ同じルートを、1か月かけて駆け足で巡ってきます。72歳の私にとって、これがきっとラストチャンスになるでしょう。
 この旅の応援歌として、私が作詞した「Last Journey」に、箭原顕さんが作曲・歌唱してくれました。旅のさまざまな場面で、このメロディが心の中に流れてくることと思います。
                       2025年6月 浦島 久
 
   In 1974, during my final year of university, I traveled through twelve European countries over three months. It was what many young people at the time called a “journey to find oneself.” The greatest gift I received from that trip was a small sense of confidence in myself. Without it, I don’t think I could have left my corporate job at the age of 24 to start JOY.
     That journey through Europe became the foundation of who I am today. This summer, in anticipation of JOY’s 50th anniversary next year, I will revisit that same route—traveling through Europe once again in just one month. Considering my physical condition at the age of 72, this will most likely be my last chance.
      As a song to support this journey, I wrote the lyrics to Last Journey, and Ken Yahara composed the music and gave it his voice. I imagine this melody will echo in my heart throughout many moments of this new adventure.
                                                                   July 1, 2025  Hisashi Urashima 
 
 
「 Last Journey」
 
作詞:浦島 久  作曲:箭原 顕
演奏:Ken Yahara Jazz Pop 大山 淳(ドラムス)、重松 忠男(ベース)、古舘 賢治(ギター)、箭原 顕(ギター&ヴォーカル)
動画編集:田代浩司
 
 
Last Journey
 
Lyrics: Hisashi Urashima  Music: Ken Yahara
Performed by: Ken Yahara Jazz Pop Atsushi Oyama (drums), Tadao Shigematsu (bass), Kenji Furutate (guitar), Ken Yahara (guitar & vocal)
Video Editor: Koji Tashiro
 
 
Last Journey
 
*Last journey, last journey,
This is going to be my last journey.
I came here to see you,
You of fifty years ago.
 
Where are you going?
Where will you stay?
Are you following signs,
or just finding your way?
Do you know I’m here?
 
Why do you keep traveling?
Why not stay behind?
Are you searching for something
you hope to find?
Do you know I’m here watching you?
 
*
 
How do you feel now,
standing alone?
Are you stronger now than
when you left home?
Do you know I’m here?
 
I’m glad I came here.
I found lots of things.
Do you wonder what I found?
It’s a secret.
Someday you’ll come to see
— the me of now.
 
**
 
 
ラスト・ジャニー
 
*ラスト・ジャニー、ラスト・ジャニー
これがきっと最後の旅
会いに来たよ
あの頃の君に
 
どこへ行くの?
どこに泊まるの?
道しるべを追っているの?
それとも手探りで?
私がここにいるのを
君は知ってる?
 
なぜ旅を続けるの?
なぜ立ち止まらないの?
君がさがしているものは
どんな願いなの?
ここにいるよ、
ずっと君を見てる
 
 
今はどんな気持ち?
ひとりで立って
家を出たあの日より
強くなれたかな?
 
ここに来てよかった
たくさんのことを見つけたよ
それが何か気になるかい?
それはね・・・・ヒミツだよ
いつか君もきっと来る
今の私に会いに
 
**
 

Last Journey(85)帰国しました!

 予定通り午後6時30分ごろ羽田に到着しました。飛行機の中では珍しく、少し眠ることができましたのは、疲れていたらから? そして、有料で3時間のインターネットサービスを申し込みました。いや、正しくは「申し込むことができました」と言うべきでしょうか。デジタルに挑戦するスピリットが、少し目を覚ました気がします。ただ、Esimを外した携帯が使えず、どう元に戻せばいいのか分からず困っています。

 東京のホテルに着いて、まずはラーメンと餃子で腹ごしらえ。これで1,500円。安心価格です。やはりヨーロッパは高かった! それにしても東京の気温はさらに高すぎます。スペインやイタリアより暑く、パリではすでに秋の気配が漂っていただけに、このギャップに驚きました。

 明日、帯広に帰ります。午後からは授業もあり、平常営業に戻ります。もちろん、写真撮影も23日(土)から平常営業です! 帯広では、写真を整理しながら今回の旅を振り返る予定です。選んだ町はどこも素晴らしく、行って大正解でした。

Last Journey(84)ラストジャーニーの終わりに

 ついに、この「ラストジャーニー」が終わります。7月17日に帯広を出発し、今日(8月20日)、私はいまシャルル・ド・ゴール空港で午後8時25分発羽田行きを待っています。帯広到着は22日。全36日間──私にとっては、ファーストジャーニー(3ヶ月)に次ぐ、2番目に長い旅が終わろうとしています。

 この短期間にどれだけ移動したのか? AIチャックに計算してもらいました。


<チャックの試算>

都市間の大円距離を出して、鉄道は「+20%(遠回り係数)」で計算。飛行機は直線距離。

  • 列車の合計距離(1→17区間+ロンドン→パリ):約 5,754 km

  • 飛行機の合計距離(ローマ→マラガ→ロンドン):約 3,241 km

  • 旅の総距離:およそ 9,000 km

主な区間だけでも──

パリ→ブルージュ:約323 km

アムステルダム→ハンブルク:約438 km

ハンブルク→ケルン:約427 km

ジェノバ→ローマ:約480 km

ロンドン→パリ:約412 km

「はい、チャックでもできました!」とのこと。これには大感動。


もし正規料金で払ったら?

さらにチャックに「この距離を普通に1等車で乗ったらいくら?」と聞いてみました。

  • 列車合計距離:約5,754 km

  • 1等車平均単価:0.35ユーロ/km

  • 計算結果:約 2,013ユーロ(約34万2千円)

今回のユーレイルパス:約12万円

→ つまり「約22万円お得!」。差額は3倍近い!

もちろん、途中でドイツの私鉄に間違って乗ってしまい、5,000円ほど余計に払ったのはご愛嬌。とはいえ、ユーレイルパスのありがたさを改めて実感しました。


感謝と旅のまとめ

 この旅を支えてくださった皆さん、そしてブログを読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。まずは、家族と職場のスタッフに心から感謝します。家族の理解と温かい支え、そしてスタッフのみなさんの協力がなければ、この36日間のヨーロッパの旅は実現しませんでした。そして、デジタル音痴の私を最後までサポートしてくれた友人の皆さんに感謝です。

 旅の途中で出会った方々──列車で隣に座った人、道を教えてくれた人、街で偶然言葉を交わした人──そのひとつひとつが、私の旅を豊かにしてくれました。そして、AIチャック。計算から道案内まで、時に友人のように、時に先生のように寄り添ってくれました。50年前の「旅のノート」が今はAIという相棒になったようで、不思議なつながりを感じています。

 ファーストジャーニー(1974年)は「自分探しの旅」でした。そして今回の Last Journey(ラストジャーニー) は──「これから残りの人生をどう生きるか」を探す旅 になりました。つまり、Last Journey ではなく、語順が逆の Journey Last (旅は続く)になったのです。おっと、英語の先生ですからLastにsをつけないとだめですね。Journey Lasts! そう、私の旅はまだ続くのです。これからも、人生の旅をもう少し続けたいと思います。

Last Journey(83)中華の思い出

 ファーストジャニーの日記によると、パリ最後の日は10月18日の予定だったらしい。ところがフライト変更で3日も滞在が伸びることに。お金もないのに、これはけっこうきつかったに違いありません。

 そんな時によく利用したのが、大学の学食(たぶんソルボンヌ大学?)と「中法楽園」という中華料理店でした。今でも覚えているのは、太麺を短めに切った焼きそば。あれが妙に美味しかったんです。日記を見ると、何度も通っていたようです。

 「どうして名前まで覚えてるの?」と聞かれそうですが、実は当時のショップカード(?)がまだ残っていたんです。せっかくなので、この店に行きたいとAIチャックに頼んで調べてもらいました。すると同じ名前の店はもうなく、違う名前の中華料理店が入っているとのこと。まあ、50年も経てば当時の経営者はもうこの世にいないでしょう。

 でも、もしかしたら当時の経営者を知っている人が店を引き継いだのかも? あるいは息子さんがやっているのかも? なんて想像しながら、住所を頼りに歩いていきました。場所はパンテオンの近く。ちゃんと住所を発見! ──と思ったら、残念ながら休みでした。店の外観は真っ赤。当時はもっと地味な色だったと記憶しています。

 メニューをのぞくと、焼きそばらしきものもありました。あぁ、できれば食べてみたかった。きっと50年ぶりに食べる太麺の焼きそばは格別だったに違いありません。確かもやしも入っていたっけ。量は少なかったけど。そんな思い出がよみがえった、なんちゅうか──中華の思い出でした。

Last Journey(82)JAGA最終回

 ブルージュ(ベルギー)、ストックホルム(スウェーデン)、ザルツブルグ(オーストリア)、そして今回のパリ(フランス)。計4回、ほぼ1週間に1回のペースで帯広のFM-JAGAとつなぎ、旅の報告をさせてもらいました。最初の放送では、うまくZoomがつながらず、急きょ国際電話に切り替えるハプニングも。それ以降は何の問題もなく、無事放送できました。

 今日の放送では、ファーストジャーニーでトラブル続きだったローマ(イタリア)とマラガ(スペイン)の話、さらにイギリスでのホームステイ先を訪ねた顛末を紹介しました。話しているうちに、自分でも「よくまあ、いろんなことが起きたもんだ」と感心しました。

 ちなみにザルツブルグでの放送には、ピアニストの加藤麻理さんが特別参加してくれました。なんと彼女が帯広に里帰りした際に、十勝毎日新聞で取材を受けたようです。そして、その記事に私の名前まで登場。肩書きが“写真家”となっていたのが気になるところです。正直を言えば、私はあくまで“写真愛好家”。プロではありません。

 さて、今夜がヨーロッパでの最後の夜。明日の夜にはパリのシャルル・ド・ゴール空港から日本へ向かい、22日に帯広へ戻る予定です。今回の旅の話は、今後セミナーや講演会でお話しすることになると思います。まずは9月3日(水)の札幌大学でのセミナー。札幌方面の方は、ぜひ遊びに来てください。

 十勝の皆さんには、11月9日(日)にジョイで開催する「第13回 夢の英語学校」でのセミナーがおすすめです。私が体験したあれこれを、笑い話も交えてお届けできればと思っています。こちらに関してはジョイのホームページをを見てください。申し込みが18日(月)からスタートしました!

第13回「夢の英語学校」

 

 

 

Last Journey(81)列車での出会い -7-

 今日(18日)はロンドンからパリへ、ユーロスターの旅でした。ドーバー海峡を海底トンネルで渡ると聞き、心が躍って楽しみにしていたのですが・・・。実際には特にスペシャルなことはなし。けれど、搭乗前はまるでフライト並みのセキュリティで、荷物検査までありました。しかも10時30分発の列車なのに、「9時15分までに駅に来るように」とのお達し。発車までずいぶんと時間がありました。

 そんなとき、近くで待っていた男性が一言。「いいカメラ持ってるねえ」思わず私も、「写真を撮るのが好きなんですか?」と返しました。まるで英会話教材のダイアログそのもの。どうやら息子さんが同じカメラを持っているようです。

 ところが、その後の展開が驚きでした。この方、自宅で錦鯉を飼っているそうで、日本庭園についての知識が半端ではない! まるで専門家のように話が止まりません。さらに携帯に保存された写真を次々と見せてくれました。極めつけは、腕に大きな般若の刺青まで!

 おかげでパリ行きユーロスターを待つ時間は、楽しい会話であっという間に過ぎました。最後に「日本に行きたい」と言われたので、私の名刺を渡しました。

 でも正直に言えば、本当に来られたら私はきっと困ります。なにしろ、この年になると鯉とは縁がないし、日本庭園にもそれほど興味がないので。

Last Journey(80)ジョン・ライル氏と

 英文雑誌『ノーザンライツ』は、北海道大学名誉教授のウイリー・ジョーンズ先生の力なくしては刊行できませんでした。17年間続けることができたのも、ウイリー先生が校閲者として加わってくれたおかげです。

 そのウイリー先生が他界されたのは昨年のことでした。そのことをきっかけに知り合ったのが、ジョン・ライルさんです。彼はウイリー先生のかつての教え子で、長年イギリスの新聞「ガーディアン」でコラムを担当し、現在は出版社を経営するとともに、アメリカの大学で教鞭をとっています。ウイリー先生の著書『Out of Our Hands』を出版したのも彼でした。

 今回私がロンドンに行くことを知り、ジョンさんから「遊びに来ないか」と声をかけてもらいました。ロンドンの名所はファーストジャーニーでほとんど見ていたこともあり、今回はジョンさんに会うことを目的に、彼が待つWestbourne Park駅まで地下鉄で向かいました。

 アパートへ向かう道すがら、遠回りしながら英語で会話している自分に気づきました。50年前には考えられなかった姿です。到着したアパートは古いレンガ造りの3階建てで、地下室もある建物。部屋には壁にかけられたセンスのいい絵や調度品、そして圧倒されるほどの本が並んでいました。そこにはウイリー先生の著作や『ノーザンライツ』まで揃っていました。

 午後3時に会い、別れたのは6時。実に長く語り合いました。話題は多岐にわたり、別れる頃には頭も足もすっかり疲れていましたが、それ以上に充実感で満たされました。地下鉄まで送ってくれたジョンさんとは「次は日本で会いましょう」と約束して別れました。

 ここで小さな番外編を。地下鉄の改札に入ろうとした時、美しい女性から突然声をかけられました。「私のお母さん、日本語を話せるんです!」。思わず「どういうこと?」と戸惑いましたが、聞けばお母さんはチェコ人で、日本語の通訳をしているとのこと。そこから話が広がり、最後には「次は日本で会いましょう」と言いながら記念写真を一枚。ちなみに、ご主人はチェコで活躍する音楽家だそうです。

Last Journey(79)50年目の再会

 ファーストジャーニーのとき、私はロンドンで2週間ホームステイをしました。お世話になったルーカスさんご夫妻。奥様はすでに亡くなられていることは知っていましたが、ご主人はもしかしたらご健在かもしれない。そう思い、メールを出しました。けれども戻ってきてしまい、息子さんへのメールも届きませんでした。やはりご主人も亡くなり、家も他人の手に渡ったのか──そんな思いを抱きながら、ビクトリア駅からビックリー駅へ

 ちなみに、この駅名「Bickley(ビックリー)」には思わずびっくりですね。駅を降り、住所を頼りに50年前の記憶をたどりながら歩きました。途中、懐かしい地名の標識に何度も胸が熱くなります。なかでも「Merrydown Way」の文字を見たとき、当時の感情が一気に蘇りました。

 駅から歩くこと20分。あの懐かしい家が視界に飛び込んできました。外観はほとんど変わっていません。まるで今にも牛乳配達の車の音が聞こえてきそうです。ドキドキしながらチャイムを押しました。応答なし。ステイしていた2階の窓は開いているのに。もう一度チャイムを。やはり返事はありません。思い切って大きな声で呼びかけました。

 やはり、ダメかと諦めて帰ろうとしたその時、裏から大きな男性が現れました。人生はドラマチックです! 彼の名前はサイモンさん。十数年前にルーカス家を購入したとのことでした。私が50年前にここで暮らしていたことを伝えると、驚いたように私を家の中へ招き入れてくれ、ジンジャーエールまでご馳走してくれました。一緒にいた二人の子どもを紹介してくれ、各部屋を案内してくれたのです。

 外観は昔のままでも、家の中はほとんど改装されていて、別の家に。その違いに50年という歳月を感じました。さらに話をしていると、近所のお爺さんが偶然に顔を出し、サイモンさんが私を紹介してくれました。ルーカスさんの名を出すと「とてもいい人たちだった」と涙ぐんでいました。

 イギリス英語に苦戦し、何度も撃沈されたあの頃のホームステイ。私にとっては大切な人生の1ページです。サイモンさんには感謝、感謝。そして、ルーカス家を引き継いでくれたのがこんなに温かい人であったことにも感謝しながら、私は次の約束の場所へ向かいました。

Last Journey(78)イギリスのAtsukoさん

マラガから実に11時間かけてやって来たのは、ジョイの元スタッフ Atsuko Okada Hausuham さんに会うためでした。グランサムの駅まで迎えに来てくれたAtsukoさんは、相変わらず元気印。ジョイで翻訳・通訳のディレクターをしていた頃(もう20数年前!)と全く変わりません。何しろその前はKLMのフライトアテンダント。明るさとエネルギーは折り紙つきです。

 グランサムからご自宅までは車で30分ほど。その道中の景色が最高で、何度も車を止めてもらっては写真を撮りました。途中にはサッチャー元首相の生家、そして地元で超人気のレストラン。ドリンクだけでしたが、その雰囲気は十分味わえました。

 レストランでは、Atsukoさんと友人の自然な会話を聞きながら、この地に完全に溶け込んでいることを実感。そして偶然出会った素敵なご夫妻とも話ができました。お二人はクラシックの演奏家で、かつて音楽学校を創立。やがてその学校はイギリス国内に広がっていったそうです。今はリタイアされていますが、その内容を聞いてびっくり! 時間があればもっと聞きたかったです。

 そしてさらに驚いたのがAtsukoさんのご自宅。本当に素晴らしい家で、これまでの人生で見た中でも1番のセンスかもしれません。少なくとも私の好みにぴったりでした。

 Atsukoさんは今も翻訳・通訳の仕事を続けながら、ご主人ブライアンさんのお仕事をサポート。彼はアンティークカーの販売を手がけていて、所有している車を見せてもらって度肝を抜かれました。とにかくすごい!

今回の1日ホームステイ、11時間かけて行った甲斐がありました。本当にお世話になりました。来年、帯広での再会を約束して別れました。

Last Journey(77)11時間の大移動

 16日はスペインからイギリスへ移動する日。前日から「空港関係のストライキで、フライトに影響が出るかもしれない」という情報が流れてました。私の便は午後1時発。国際線なら2時間前に到着すれば十分ですが、念のため安全策で午前9時にホテルを出発。

 今回の搭乗手続きは“電子申請必須”とのこと。ローマからマラガへ飛んだ時は求められなかった顔写真を、航空会社のアプリに登録しなければなりません。これがうまくできず、1時間格闘。助けてくれたのは、YouTube先生でした!

 さらにもう一つ問題が。苦労して取得したイギリスの新しいビザ「ETA」が見つからない。パソコンのどこかにしまい込んでいたのですが、あちこち探してようやく発見。しかし結局、イギリスの空港では一度も提示を求められませんでした。あの苦労は一体なんだったの?

 フライトは1時間遅れで出発し、午後4時にロンドン・ルートン空港に到着。ほっとしたのも束の間、次のトラブルが。なんと私のカバンが出てこないのです。コンベアーは止まり、ほとんどの人はすでに去っていきました。頭の中をよぎるのは「あの中には、この旅の写真データが!」。10分後、コンベアーが再び動き出し、私のカバンが一人寂しく出てきた時の安堵感といったらありません。

 ところが、さらに大きな試練が。空港からリンカンシャー州の田舎町に住む岡田さんの家までの移動です。軽く考えていましたが、実際はちょっとした大移動。岡田さんから私のメッセンジャーに入ったのメッセージはこうです。「ルートン空港バスターミナルのプラットフォームHから16時22分発の100番バスに乗ると、Stevenage駅に17時37分着。そこから17時56分発のリーズ行き列車に乗り、Granthamまで来て下さい。到着は18時39分です」。

 指定通りに乗り継ぎ、グランサムの駅で岡田さんが車で出迎えてくれました。そこからさらに車で30分。岡田邸に着いたのは午後8時。マラガのホテルを出てから、実に11時間の大移動でした。

Last Journey(76) マラガはJOYの原点

 ファーストジャーニーでは、スペインをかなり長く旅しました。理由は単純、物価が安かったからです。当時、まともな食事にありつけたのは、スペインとイタリアくらいでした。スペインでは、バルセロナ、サラゴサ、マドリッド、トレド、セビリア、コルドバ、グラナダ、そしてマラガを訪れました。

 ラストジャーニーは基本「1カ国1都市」。では、なぜスペインはマラガ? 確かにガウディのサグラダ・ファミリアも見たかったのですが、ファーストジャーニーの私は、その存在すら知らずスルー。今思えば情けない話です。

 マラガは、かつて日本人4人でアンダルシアをレンタカーで旅した際、レンタカー屋さんとトラブルになった思い出の地。そのとき警察官が仲介し、私は大学で習った第2外国語・スペイン語を総動員して交渉。結果、一人2万円だった請求を5千円にまで減額成功!この経験が「一人になればやれる」と気づくきっかけになりました。もしこの出来事がなければ、24歳でパナソニックを辞め、帯広でJOYを始めることはなかったかもしれません。そう、マラガはJOYの原点だったのです。

 14日にマラガ入り。しかし空港で中央駅までのチケットがなかなか買えず、やっと食べたランチの中華はハズレ。さらにアイスは買った時点ですでに半解け。「やっぱりマラガは私を歓迎してない?」と心が曇りかけました。

 もちろん、中央駅のレンタカー屋さんにも行ってみました。今や新しい駅は昔の面影はなく、きちんとしたレンタカー屋さんが並んでいました。私がかつて戦ったレンタカー屋さん「テルミナル」は、当然ながら影も形もなし。あんな商売をしていたら会社が長持ちするはずがありません。それにしても、あの時の警察官、もしかしてレンタカー屋とグルだったのかもと、ふと思ったり。そして残念ながら、駅にはもう警察署はありませんでした。

 そんな中で気分が好転したのは、夕食で食べたイカ墨パエリア。これが見事に私の機嫌を回復させてくれました。おいしかった!

 そして今日(15日)は、スペイン大使館の内田さんおすすめの白い村「ミハス」へ。列車とバスを乗り継ぎ到着。バス乗り場で親切に道案内してくれたスペイン人にも感謝です。小さな親切は、旅の中で一番心に残ります。

 ミハスは想像以上に大きく、白一色の統一感に圧倒されました。お店のレベルも高く、思わず陶器屋さんで「JOY」と数字の「50」のタイルを購入。もちろん来年のJOY50周年のためです。店主は日本に3回行ったことがあり、毎月大量のタイルを日本に輸出しているとのこと。こんな偶然も旅の醍醐味ですね。

 そして極めつけは、今日からマラガ最大のフェスティバルが開幕! 街はすでにお祭りムード一色。夜12時からは花火大会。え? 12時は遅い? いえいえ、この季節のスペインはその時間にならないと真っ暗にならないのです。そんなビッグイベントのことも知らずにマラガを選んだ私ですが、もしかしてこれは「マラガに愛されてる」という証拠かも? しかもホテルは6カ月前に予約済みで、リーズナブルな料金。これはもう、マラガが私に「Bienvenido(ようこそ)」と言っているに違いありません。

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