JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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通訳は難しい!

最近はめっきり通訳をやることが少なくなりましたが、午前中に2時間ほど久しぶりにやらせてもらいました。お客さんはニューヨークにあるコロンビア大学の助教授。精神福祉分野の研究のために帯広にやって来ました。訪問先の「帯広ケア・センター」の門屋さんとはずいぶん前からの知り合いですが、具体的に何をやっているかまったく理解していませんでした。
帯広・十勝はこれまで30年近く地域精神保健福祉活動に力を注ぎ、精神障害者のための医療・保健・生活福祉の先進地なのだそうです。そして、門屋さんはその中心人物のひとりということになります。門屋さんがやっているのは、そんな人たちを社会の一員として実社会に出すために、いろいろな職場を作り出すという立派な仕事です。
通訳をやる度にがっかりするのは、自分の知識そして英語力のなさです。今日もそうでしたが、内容的に分からないことだらけで説明を求めることが多くなり、中途半端な通訳になってしまいました。今回は年末で忙しいこともあり、そしてボランティアだという意識も強かったことから、事前に専門用語など下調べをしていませんでした。これじゃ、だめですね。
午前11時半には、スタッフとのクリスマスランチのためジョイに戻りました。そして、次の通訳(ジョイの卒業生です)とバトンタッチ。時間もなかったことから、うまく引き継ぎもできずじまいで、これまた反省材料でした。帯広・十勝は仕事が少ないから、プロの通訳が生まれない。プロがいないから仕事が生まれない。悪循環ですね。そろそろプロとしてしっかり働く人材がこの地にも必要なようです。

英語と私

今日の「英語で青春セミナー」は、予想をはるかに越える60名以上の参加者で、会場は青春がムンムンでした。3人のゲストの話もとても好評でしたが、その中のひとり篠河玲子さんの原稿を頂戴しましたので、それをこのブログで紹介したいと思います。
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「英語と私」 篠河玲子
昭和5年生まれの私は、終戦の時は旧満州で女学校、今の中学2年生でした。戦時中「英語」は敵国語ということで一切使ってはいけないと言われました。たとえばパンツとかズボンは英語だから、長ズボンは「長袴(ちょうこ)」。半ズボンは「短袴(たんこ)」と言わされ、インクは「青汁」と言った時代でした。ですから学校の授業もほとんど勤労奉仕で軍需工場へいったり、援農の毎日で学校の授業は全くという位ありませんでした。
終戦と同時に学校は占領され、引き揚げて来るまでの1年間は中国の内戦が続き、家の中に閉じこもっていました。終戦の翌年、やっと引き揚げてきて、帯広の三条高校へ転入し卒業証書を頂きました。殆ど授業らしいものは受けていませんので、英語はアルファベットの大文字、小文字の区別もつかない状態で、缶詰のレッテルさえ読めませんでした。
いまから40年位前に、初めてヨーロッパへ行きました。1ドル340円の時代です。ギリシャ・イタリア・フランス・イギリスと廻って、感動の連続でしたが、同時に言葉の出来ない悲哀を強烈に感じました。そこで帰国して未だ時差ボケも治らないのに、YMCAの英語クラスに通いはじめました。そこは若い人も一緒で、私のようにテキストに、カナをふらないと読めない状態では、ついてゆけず挫折しました。
50歳になった頃、同年代のグループで英会話を習いたいと、JOYの浦島先生にお願いして、シノカワサロンで英会話のクラスをスタートして今も続いています。しかし、一番忙しい時で、欠席ばかり。何年経っても入門レベルから進歩出来ずにおりました。
70歳になった時、「カリブ海クルーズ」にお誘いをうけ、世界一大きな船に乗ることになりました。パンフレットを見ると,乗客乗員4,500名。うち日本人は30名足らずと聞きました。
「10日間も船に乗っているのに英語が出来なくては大変だ!」と慌てて、浦島先生にお願いして、個人で特訓を受け、少しは英会話が出来るようになろうと、土・日以外は毎日1時間のレッスンを始めました。はじめの3ヶ月は、緊張で1時間の長いこと。終わる頃にはいつも頭が痛くなったことを思い出します。
レッスンを受けて間もなく、私の所属しているボランティア組織、国際ソロプチミストアメリカ連盟から、財団理事に日本代表で立候補して欲しいという連絡が来ました。 私は「とんでもない。英語が出来ないので駄目です!」とお断りしましたが「アメリカでの会議には同時通訳をつけますから、英語が出来なくても大丈夫です。是非・・・」と言われ、断りきれずに立候補を引き受けました。ほかにアメリカ連盟19ケ国から27名が立候補していて、審査の上、ノミネートされた8名が、2000年の連盟大会で選挙演説をすることになっていました。
場所はハワイのヒルトンホテルでした。「2,000人の前で、英語のスピーチ。さあ大変!」という事で、演説原稿を浦島先生に英訳していただきました。しかしそれは、当時の私にとっては、とても難しい原稿で「読めない」「意味がわからない」と、お先真っ暗でした。
そんな私を、「7月のハワイ大会まで、まだ3ケ月ありますから、練習しましょう。」と浦島先生は励ましてくださいました。ひと月は読む練習、次のひと月は原稿を丸暗記しました。先日「体験トーク」のお話を頂いた時、浦島先生が、「あれを読んだらどうですか?」と言われましたので、5年前の原稿を、探し出して読んでみますと、5年前はあんなに難しかった原稿が、すぐにスラスラと読めた事には、われながら驚きました。ということは70歳を過ぎて覚えたことでも、本気になって、しっかり頭の中に覚えこんだことは、忘れないことを発見しました。
このスピーチを丸暗記し、ハワイの舞台で、見上げるような大きなアメリカ人や、カナダ人など、8名の候補者と並んでスピーチしました。原稿も見ないで英語のスピーチをする、小さなジャパニーズに、満場は拍手喝采。その後の投票で、なんと断突で当選してしまい、アメリカ連盟の財団理事となりました。それからは毎年,年3回の理事会がアメリカやカナダであり、一人で出席しておりました。昨年秋に4年の任期を終了しましたが、その間毎日のようにアメリカからeメールが入りますので、浦島先生に読んで頂き、返事を書いて頂きました。
英語も出来ない私が、何とか無事に大役を終了出来たのは、まったく浦島先生のお蔭と感謝でいっぱいでした。今年で5年間、JOYに通わせて頂いておりますが、ふり返りますと、私のような高齢者に根気よく英語を教えて下さった先生に感謝する一方で、申し訳なくも思いました。中学生や高校生なら、どんどん覚えるでしょうし、その生徒が難しい大学に受かってくれる楽しみや、外国の立派な企業で活躍してくれる喜びがあり、教え甲斐がありますのに、私になんか教え甲斐がないと思います。
せめてどの位覚えられたか、何か証明する義務のようなものをと私は感じました。それで手取り早いのは「英検」を受けてみることだと考えました。ちょっと恥かしいと思いましたが、中学生に混ざって昨年1月に英検4級を受けました。そして6月に3級を、また続けて「10月に今度は準2級を受けてみます」と浦島先生に申しましたら、「準2級はまだ無理でしょう。あと1,2年は勉強しないと・・・」と言ったのですが、私は「試しに受けてみます!」と1年間に3つ目のテストを受けました。結果は先生の言われたとおり、3点不足で落ちました。今年1月は旅行中で受けられず、6月に準2級を受けましたら、幸運にも合格しました。実力はまだ全々無いのにJOYで英検のセミナーをして下さったり、2次試験の特訓をして下さったりと、そのお蔭でした。
来年は英検2級を目指して、健康の限り英語の勉強を続けようと思っています。

イーハトーブ賞

松香フォニックス研究所の竹村副社長から、めでたいニュースが届きました。松香フォニックス研究所が今年3月に刊行したCD付き絵本『通じる英語はリズムから Gorsch the cellist』が、宮澤賢治学会/花巻市より第15回「イーハトーブ賞奨励賞」を頂くことになったそうです。おめでとー、松香洋子先生そしてスタッフのみなさん。
この賞は優れた宮沢賢治研究や実践に贈られるものです。同書が受賞した理由は、「宮沢賢治の童話を大胆に短縮し、音楽をつけて、子供たちが英語で楽しめるようにした」「宮沢賢治の童話は世界30ヵ国で翻訳されているが、子供たちが声に出してすぐにいえるものはこれまでに例をみない」「今後、英語教育を通して宮沢賢治の作品が多くの子供たちに楽しまれる可能性を秘めている」でした。確かに、これはユニークな出版物ですよね。賢治の作品がこんな形で使われるなんて誰も考えなかったことでしょう。
同賞の授賞式は9月22日(木)に花巻市で開かれますが、当日は受賞者記念講演・賢治研究リレー講演として松香先生が講演するそうです。そして、『Gorsch the cellist』を使った子供たちの朗読劇も予定されているというのですから、これまでの授賞式とは違う雰囲気になることと思います。
そうそう私も英文雑誌「ノーザン・ライツ」の出版などでいろいろな賞をもらったことがあります。第8回北海道青少年科学文化振興賞国際交流部門(1985、財団法人北海道青少年科学文化財団)、北海道国際文化交流奨励賞(1990、北海道国際文化協会)、帯広市文化奨励賞(1991、帯広市)、千嘉代子賞(1993、国際ソロプチミスト財団)。過去の栄光と言われないように、これからもいい仕事をやって行かなければなりませんね。がんばらなくちゃ。目指せ、北の松香フォニックス研究所!!

東京で音楽関係の仕事をしている古田秘馬さんが、今日の午後、私を訪ねて来てくれました。古田さんのお父さんは、ジョイの創世記に私がとてもお世話になった方で、そんな「縁」で彼と一度東京で会ったことがあります。
みなさんはジョイが出版していた英文雑誌「ノーザン・ライツ」を覚えているでしょうか? 1980年に創刊した年刊誌で、17号で休刊になりました。実は、この地方発の英文雑誌の第3号から裏表紙に世界的な企業「アメックス」の広告が登場したのでした。当然、世間はビックリ。他の広告はほとんどが地元の会社ということで、「なぜ?」と何度も聞かれたものです。
今だから言えるのですが、古田さんのお父さんがアメックスの日本法人の副社長だったのです。ひょんなことから知り合い、私の活動を気に入ってもらいました。「同じ北海道出身者として、何かできることはありますか?」という問いに、私は「アメックスの広告をください!」と大胆なことをお願いしたのでした。たぶん、アメックスが広告を出した発行部数が一番少ない雑誌だったと思います。
今回、古田さんは東京で活躍するクリエーターと一緒に帯広で何かをコラボレートしたいと、その打ち合わせで来たそうです。「なぜ帯広?」と思わず聞いてしまいました。仲間に帯広出身者がいたのが「縁」だったそうです。なるほど。
帯広は4年制の大学がひとつしかなく、しかもその帯広畜産大学が郊外にあることから、町中ではあまり大学生を見ません。つまりほとんどの若者は大学に行くためにこの町を出て行きます。古田さんとその仲間たちが若者を巻き込みここで何をやろうとしているか、私には検討がつきません。でも、素晴らしいコラボレーションが始まることを期待しています。
ところで古田さんのお父さんは、会社を辞め、今はヨーロッパへ3ヶ月の船の旅に行っているそうです。旅に出かける前、みなさんにきっと言われたのでしょうね。「出かけるときは、忘れずに!」と。
*プロフィール
音楽家 古田秘馬 (ふるた・ひま)
1975年生まれ。慶応大学中退後、アメリカを放浪。97年、パリ・ダカールラリー参加。佐藤允彦氏、板橋文夫氏にピアノを師事。ミュージシャン・ライターとしてのキャリアをスタート。2000年より活動の拠点をNYに移す。テロ以降日本に再び拠点を戻す。CM音楽、映像音楽、レコーディング、ライブなどを精力的にこなす。現在は日本の聖地をテーマにした写真とのコラボレーションプロジェクト・Primal Gravityを発表。日本に眠る音霊をピアノと弦楽器を中心に独特の世界観で演奏する。 主なレコーディング作品に、平井堅の「楽園」(99年)、「SAKURA」(99年NY)など。著書としては同世代の生き方を追ったノンフィクション「若き挑戦者たち」(イーハトーブ出版)

英語で青春セミナー

「英語で青春セミナー」、我ながら、すごいタイトルをつけたものです。10月から始める「シニア英語コース」のPRを兼ねてセミナーを開催します。これまで数えられないぐらいのイベントを企画してきましたが、シニア向けは初めてです。
セミナーは9月19日ですから、まだまだ時間はあるのですが、今からなぜか緊張しています。一番の悩みは服装です。ジーパンとシャツ(私はクールビズが流行る前からクールビズの旗手でした!)では失礼にならないだろうか? 対象がシニアということで、ネクタイをした方が好感を持たれるのでは? でも、結局、当日はラフな服装になるでしょう。
スペシャル・トークをお願いした坂井敏夫先生(大江病院名誉医院長)とは、個人的に3度ほど話したことがありますが、とてもかっこいい方です。話し方がソフトで、声がいい! ラジオの深夜番組でお悩み相談などやればピッタリなのですが、めちゃくちゃ忙しい先生ですから、それはもちろん無理です。今回は講演をよく引き受けてくれました。お子さんがジョイで勉強していることもあり、私のオファーを断ることができなかったのかもしれません。
体験トーク「英語と私」に登場する2人は、最高のキャスティングだと思います。まずは、ご存知、篠河玲子(ギャルリーシノカワ会長)さん。篠河さんは国際ソロプチミストの、日本ではなく、アメリカ本部の理事を3年間務めた方です。会議には通訳が付きましたが、理事会が開催されるアメリカやカナダの都市には毎回ひとりで行かなければなりませんでした。学校で英語を正式に習ったことがない世代の方には、大変だったと思います。でも、これをチャンスとしてとらえ、本格的に英語を勉強し、最近、英検準2級に合格しました!
もうひとりのゲスト、祢津秀夫さんもユニークです。本別町の助役を辞めた後、英語がやりたくて夏・秋はジョイで英語を勉強し、冬から春にかけてはフィリピンの英語学校で留学しています。アメリカやイギリスとは違い、授業料は安く、面倒見がよくて、穴場とのことです。トークでは、現地での英語学習に関しても紹介してくれるでしょう。
このセミナーは、60歳以上の方であれば、どなたでも参加できます。お知り合いで英語をやってみたいというシニアがいましたら、ぜひ、声をかけてください。もちろん、すでにジョイの生徒になっているシニアの方々も大歓迎です。

中田の英語

昨日の夜、家に帰りテレビを入れると、英語が聞こえてきました。見ると画面には、あの中田英寿の顔が。プレミアリーグのボルトンに移籍した彼が、本拠地で入団会見に臨んでいました。彼のイタリア語はうまいという印象はありましたが、英語もなかなかでした。もう少し長く聞くことができれば、英検の何級レベルかぐらいは評価できたかもしれません。残念。
今日の新聞によると、中田本人の希望で、会見での質問は英語のみだったそうです。自らの英語で新天地での意気込みを語った中田は立派だと思いませんか? イタリア語は頑張っていたという話は有名ですが、彼は英語も勉強していたのでしょう。イギリスでは通訳を置かない方針だそうです。これから世界を目指すスポーツ選手は、中田を見習うべきだと思いませんか? ヤンキースの松井くんにも、今夜、電話してアドバイスしたいと思います。誰か彼の携帯の番号を知っている人はいませんか?
デーリー・テレグラフ紙の記者は、「英語がうまいので驚いた。静かで抑えめだが、とてもプロフェッショナルだった」と印象を語ったそうです。英語を話すだけで、これだけのインパクトを与えるのですからスゴイ! もちろん、これまでの日本人プレイヤーがそれだけ外国語ができなかったという背景があるからかもしれませんが。
おもしろかったのは、同席した日本メディアからの質問も英語に限られたということでした。「今後も日本語は使わないのか?」という質問に、「自分たちがどこにいるかを考えなければいけない」と中田は応じたというのです。これって痛快ですね。さすが中田! 日本人メディアの中には「中田って、英語が喋れないんでナカッタ?」なんてダジャレを言っていた人がいたとか、・・・。

テルミー

月曜日の朝は「テルミー」から始まります。「テルミー? ローリングストーンズの曲にそんなのがありましたね」「別れた女房の名前がテルミでした」「それ何? テルミー」なんていう愚かな声が聞こえてきそうです。実はこのテルミーはギリシャ語で「温熱を利用した療法」を意味します。つまり温熱療法のひとつなのです。
私は若い頃から肩こりなどがひどく、これまでに鍼灸、マッサージ、カイロプラクティックなどを試してきました。そして、最後にたどり着いたのがテルミーでした。テルミーは1929年に発明されたと言いますから、すでに70年以上もの歴史がある民間療法です。
私たちの心と体には、生まれながらに健康を回復させる力「自然治癒力」が備わっています。つまり、病気は自然治癒力より病気の悪化力が大きくなったときに起きるのです。現代医学は薬やその他の方法によって病気をおさえ健康を回復させるのですが、テルミーは自然治癒力を高めることで健康を維持します。
「能書きはいい、具体的にはどうやるの? プリーズ・テルミー」と言うあなたに教えましょう。点火したテルミー線(植物成分からできた線香状のもの)を冷温器(万年筆大の銅でできた筒状のもの)の中に入れ、冷温器2本を1セットにして体表(皮膚・血管・リンパ管・神経・筋肉など)を刺激するのです。刺激の方法には、皮膚をなでたりおしたりする方法や、皮膚に直接触れずに熱や煙で刺激を与える方法があります。もっと詳しいことを知りたい人には、私が「テルユー」。
ところで、実は私の妻もテルミーの講習を受けてやれるようになったのですが、私は毎週1時間ほど治療を受けに行っています。理由はもうお分かりですね。下手な人がやると熱いーんです!

ジャズ魂

帯広の熱いジャズライブを聴き、酒も飲まないのにホロ酔い気分で帰って来きました。メインは十勝のジャズシーンでは欠かせない存在のトランペット奏者、浅倉功一(68)さん。浅倉さんは筋肉が萎縮する難病・筋ジストロフィーを抱えながら、トランペットを20年以上も吹き続けています。
浅倉さんは19歳でプロになり、高橋達也と東京ユニオンなど有名なジャズバンドの一員として活躍していましたが、北海道の環境にひかれ1978年から帯広に住んでいるそうです。この年は私がジョイを始めた翌年になります。当時、帯広の中心街の地下に大きなライブハウスがありました。そこにはディスコ音楽やジャズロックを演奏するバンドが入っていたのですが、その中でひときは目立つトランぺッター兼ボーカルがいました。それが浅倉さんでした
3年前から車イスでの生活を余儀なくされている浅倉さんが、仲間に担がれ超満員の会場に入ってくると、温かい拍手と声援が起きました。一部・二部は浅倉さんの影響を受けたというミュージシャンが中心のステージでしたが、それを横で聴きながら楽しそうにお酒を飲む浅倉さんの姿や表情がとても印象的でした。そして、第三部で弱々しいけど温かいフューゲルホーンの音が響きました。
指が思うように動かない浅倉さんの演奏は、技術というものを超越していました。フレーズごとに拍手が起こるライブは、私には初めての経験でした。歌も数曲披露してくれましたが、特に「マイ・ファニー・バレンタイン」はまるで私が大好きなチェット・ベーカーのようでした。今日のライブはいろいろな意味で生涯忘れることができないものになりそうです。

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